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2010年4月7日水曜日

服喪のスートラ10 K先生への挽歌

 

前略
夏は暑い、まきり君が墨流しの授業中に発泡スチロールの風呂に入ったのも夏だった。例のわたしが小学生のまきりに行った授業、時計分解の事だが
「方法はメディアを選ばない」 と云う格言みたいな言葉がいつのまにかわたしの中に生まれた。その事の真意は時間に関係あるのではないかと思うようになった。それで事実と記録には時計が真実味を帯びる事などから時計を分解してみた。複雑で分解できそうもないが、わずかなドライバーとペンチで分解される。だが時は流れる。人は好きなところに時々トドマルのではなかろうか?
マキリ君の味う事について、不可解なものに対して理解しようとするときシタを出す、キッスもそうだ。わからないので交信する。のではないかと、考えさせられた。
長編散文詩ジャンルなどどうでも良いあの長い日記―自閉症児と父の日記―には、おかげで読むだけで二日もかかりました。まきり君が二〇才になるとは日記のなかでわかりました。時間の過ぎるのは早い。
私は今、福岡に出張に来て、珈琲を飲みながら手紙を書いている。左手は金色、白色、うすみどり、青色、が爪の間についている。それを見ながら、何を書くかなどと考えているが、思い出すがままに書こう。
まきりの日記は、道路に立つ信号や、広告板や道路標識が、正確に書かれていたこと、日記に昨日や今日、一昨日の境界線を引こうとしないのか、区切りがないのか、そのあたりがぼくに取っては大変興味があった。
それでまきり君にとって日記とは一体全体なんなのかはっきりしない。忘れそうなので記録するのか それとも私自身にみせるためなのか、と考えるがよくわからない。
だからまきり君の日記が中心よりも親達の日記が中心になった方が良いのではないか。まきり君を中心に心配というかさまざまなことを考えて時は去っていく、忘れることの出来ない人。まきり君。思い出したようにポツンぽつんと日付の不明なマキリ君の日記が入るほうがはるかに良いように思えるが。
親達は裸で吉原へ歩いていったことに対してのお詫びというかお礼というか、その事後処理や施設の問題や先生の事など良い悪いは別にして書いたほうが良かったと思う。
ヨシノリ様 マキリ様     風倉より




わたしが初めて黒い風を見た日。それは一九七三年の十二月二十日、午前一時のことでした。多摩ニュータウン造成予定地でのことでした。いまにも伐採される柳の枝を、黒い風が空高く巻き上げ。月食を見に行ったわたしたち三人を、その髪の毛に巻き込みました。風は柳の木の悲鳴を代弁して吹き付けました。月が地球の陰に飲まれ、鳥共が泣き騒ぐ瞬間でした。三人と柳と宇宙を繋いでいたのがその風でした。
「あの!いつか一緒に見た。あれ! あれ。天体望遠鏡を覗きながら、今、見えている通りの事を、隣の誰かに伝えたい」 そんなことを思ったとたん、言葉に詰まってしまう。それに似て
「あの!いつか一緒に見た。あれ! あれ」 今、公園予定地の砂ぼこりを空高く巻き上げ、いつか見たあの風が暴れているのです。
35年前のあのときのように、渦巻いていたのです。わたしは前の住人が忘れていった、よごれたカーテン引き、寿荘に差し込む朝日を、鏡で受け止めました。その光を風がたわむれている場所に向けて放ち
「わたしは一人浅草から今、ふる里のここに帰って来ましたよ」 と、挨拶するつもりでした。すると黒い風は娘や息子の写真などを吹き飛ばして、わたしに突進して
「やあ、帰って来ていたのだね。小学生だった君とはこの辺でよく駆けっこしたね。いつも君は冷え切って、日向ぼっこの細葉の囲いや、日の当たる路地に逃げ込んだね。君の弟が病気のときには、背中を押してヤギのお乳を、一緒に買いに行ったね。あの頃のチャンバラ映画館はもうありませんけどね。黒い風はこのあたりで、カラッ風なんて呼ばれていますよ。」 それからというもの、わたしの部屋を、風が覗くようになりました。わたしのほうでも風の音を聞き漏らすまいと、耳をそばだてて暮らしました。耳を澄ませば、澄ますほど春の陽だまりのサルノコシカケに、いつのまにか座り込んで、ひっそりと動こうともしません。
また、わたしのほうも風が話しかけているのに
「あの! いつか一緒に見た。あれ! あれ」 と、呟くだけのそっけない対応を何年続けたことでしょう。
鍬入れのときから見てきた、隣の新設大学はできあがり。正門前で咲き誇る、シデコブシの花に送られて、一回目の卒業生が出て行ったのは、今年の春のことでした。風は五年以上も辛抱強く、わたしを覗きに来ていたことになります。
「本当に風の声が聞こえているのかい!」 風はいつもそう疑って過ぎていきました。
しかし、今わたしはほんとうに風の声や歌が、聞こえたということが出来ます。わたしは墨流しの模様を、真似たのです。和紙を水紋にそっと浮かべたように、風の流れにわたしの蝸牛のような、大きな耳を集中して傾けたのです。人と話す事も一切中止して。それは素粒子に穿たれたフィルムを現像するような、辛抱が要る作業でした。
「あの!いつか一緒に見た。あれ! あれ」 風はわたしがそんなふうに乱暴に答えても必ず来ます。
風と比べて、人間の文字や言葉など、そんなに長持ちするとは思えませんが。まず訪ねてくれた風には、色の、呼び名をつけてやりました。風がそれを気に入ったか、どうかはまだ聞いていません。黙り込んだままです。風って奴は結構、天邪鬼なんですよ。



小学生の頃、茜色の風が夕焼け雲から吹き込んできました。大きな杉が畑中の一本道に覆いかぶさるように立ちふさがっていました。
大杉の東側にはお爺さんおばあさんが住んでいるという祠のような、小さい家が立っていました。家はいつも留守で人が住んでいるのを疑う人もいましたが、気味悪がって覗いて見るものは居ませんでした。
そんな塾への道を、毎日通うのですから、女の子の親が心配し、同級生のわたしと二人で通わせるように取り決めたのでした。その道は片道だけでも一時間もありました。その小学生の女の子はとても強情でした。楽しいことは自分が居ない所で、自分だけを置き去りにして起きていると思い込んでいました。
男の子同士がどんなに楽しいことをして遊ぶのか、いつも知りたがりました。ある日の事、わたしは女の子に、新津の林を、見せてやろうと思いました。いつものコースから少し外れて、林へ入っていきました。小川に架かった丸木橋を渡ると、そこは無人の水車小屋でした。誰にも教えられない秘密の基地で、セミの抜け殻や、マッチ棒小刀など腕白小僧だけの宝の隠し場所でした。女の子は丸木橋まで来ると
「狼に食われた赤頭巾ちゃんはお母さんが狼のお腹を裂いたときには、もう半分溶けていたんじゃないかしら」 と急に心配になって、丸木橋の上で立ち止まりました。
「あれほど、自分が居ないときの事を、知りたがっていたのに!」 わたしは怒って、女の子に言いました。
「入って覗いてみるかい。やめておくかい。ぼくだって、仲間との掟を破って、中を見せてやろうと思ったんだ。女の子の気紛れに、いつまでも付き合っていられないよ。」 女の子は
「小屋の中で何が起こるか、分からないのよ。二人が攫われたり、殺されたり、着ているものを剥ぎ取られる様な気がするの!」 と泣き出しそうでした。女の子は丸木橋を戻りました。
水車小屋からわたしが出てみると、女の子は自分の予感通り、刃物で刺されて、血を流して倒れていました。ほんの一分足らずの出来事でした。
「通り魔が、林の入り口に潜んでいたんだ」 としかわたしには説明できません。女の子を引きずって、通いなれた本道にでると、大人が数人出てきてはやし立て、わたしをひどく叱りつけ、わたしの言い訳もきかず、女の子を病院に運んでしまいました。独りになったわたしは牛蛙が浮かんでいる田んぼの夕暮れを、泣きながら眺めました。カミナリが遠くで光り頭上を過ぎ消え去りました。わたしは難破船に置き去りにされた船長のような気持になっていました。

どの子を欲しや
あの子を欲しい
あの子じゃわからん

新津の林から、子取りの囃子うたが聞こえてきました。風はまだ黒塗りの自転車がめずらしかった頃、100年も昔の、新津の光景を思い出しました。思い出の層が、新津の林の周りに、地層のように幾重にも重なっていました。大げさに言ってしまうと、地球のはじまりからの地層が風に思い出させているのでした。
記憶のプレートの隆起で、過去の地層が跳ね上がったりするのです。大正時代の女の子のヒマワリのような顔から、汗がぐるぐる飛び散りました。微細な光の点線が車輪の銀色のリムやスポークに反射していました。風は光の渦に取り囲まれていました。¥風と光は絵描きさんに写し取られまいとして、うなぎのように、逃げました。絵筆より早く。にゅるにゅる、と。
どんな話会いがわたしと女の子の親の間で執り行われたのかは分かりません。ほんの一分足らずの出来事でした。それからというもの、わたしと、女の子と男の子が一緒にこの道を通うのを見なくなりました。100年前と60年前と、今が輪になって繋がり海馬に残る思い出となりました。カミナリ雲は春野町の果てまで吹き飛ばされて、こちらを睨むように消えてしまいました。空はさっぱりと晴れ渡り、一番星が輝きました。
風は切り倒された大杉の跡地に建ったスナックに、勢いよく吹き込んで暴れまわった様子なのです。



南アルプスが病院の窓枠いっぱいに連なっていました。手術室入り口のペダルを、看護士が踏むとステンレスの観音扉が、パカンと開きました。舌癌手術の患者が運び込まれました。手術用のシェルターで、麻酔薬が打たれ、秒読みが始まりました。キョロキョロ覗いて居るのは、手品で客席から呼び出されたような、役割も分からぬ患者でした。それも、麻酔が効いて来るまでの十秒間足らずのことで、後の事は闇の中。
脳波が蛍の群れにように輝きました。それは世界同時多発クリスマス・ツリーのように暴れまわった様子です。そばでは
「蜘蛛の巣をとったら蜘蛛を殺して置かなくっちゃ」 こんな声が響いていました。舌癌の腫瘍の切除と、転移の予防について、医者の独特の符牒だったかも知れません。黄色いシーツの真ん中から首をだしている患者には何も聞こえません。
「あの時、あんなことをしていなければ。もっとはやく気が付いていれば」 と嘆き。不治の病と死を受け入れ再出発する二度とない瞬間でした。腰のあたりの要所だけが、くたびれたファスナーでつながって、もうそこから先は覗けません。言葉の無い場所なのでした。他人の感じている傷の事が我がことのように分かってしまう。記憶には残らないが行き成り忘れられない感情になってしまうのでした。どの手術室の蛍光灯も涼しげで、過ぎた季節のアジサイのように、また色を変えようとして輝くのでした。そこは薬品に連れてこられた、一人孤独な臨床でした。まわりの助手たちは霊安室と病室を同時に整えようと、患者の開かれた患部のそばを走り回りました。麻酔の効いた脳から搾り出された風は院外にも飛び出しました。そして、うろこ雲に乗って、やがて浜名湖の湖面に、投網でも打ったようにずっしり沈んで行きました。鉄橋の新幹線は11両編成で、後ろが前にもなっていました。激しく吹き荒れていると天と地が逆さに見えて消えました。
患者から体外離脱した風は、寿荘にたどり着くと、ブレーカーが落ちてガスも止まり、主が入院していることを知りました。誰もいなくなった寿荘の個室は人を飲み込んだ底なし沼のように知らん顔をしていました。



鎮守の森では三人の腕白小僧が熱いセミのおしっこを頭から浴びたところでした。セミはおしっこを空からばらまきながら飛び去りました。セミはめまぐるしく飛び交うので、最初の一匹が分身するのだと錯覚していました。でも、その日のセミは、うす暗い鎮守の森をなんと低く、横切ったことでしょう。セミの体にけいれんが走り、三人の足元に仰向けに滑り込んで来ました。散々三人に向けて、水を捨て身軽になっていたはずなのに飛べませんでした。年長者のわたしがすき透ったまま重くなる飛行物体を、空高く放りあげました。そしてほっと仲間を、振り返りました。電線で狙っていたカラスが素早くそれを拾って食べました。
風は驚きのあまり、大楠の洞穴に逃げ込んでしまいました。風は澄んだ眼差しをするだけが精一杯で、セミにも三人にも何の役にも立てずに消えたのでした。
雲立ちの大楠は樹齢2500年を過ぎていました。梢から雲が立って家康を救ったのを風は昨日のことのように覚えています。しめ縄を張った大木は疲れたように根っこが地面に盛り上がり、少しずつ腐り始め割れていくのでした。社殿の右側には土俵が雨よけのシートに包まれて、夏のお祭りを待っていました。
春には、白い花が神社を取り巻いて咲きました。お昼時のせいか、人っ子一人居ませんでした。
「待てば、去年の夏の三人に会えそうだ」 と思っていると、蝶を追って駆け出して来る、風がありました。
今度は春一番つぃて、荒々しく吹付けるのです。それが大真面目で、蝶を追い詰めているように見えるのでした。例えば、探し物を取り返す勢いで、形相までも鬼にして、老木を鞭打ち、無理やり若返らせようとしました。ですから、風は祠を狙って、飛び込んだり、飛び出たりしているように見えました。風は緑の楠の葉と葉裏の帷子を、後ろ前に羽織って、一日中荒れ狂いました。するとどうでしょう。あたり一面、花吹雪ではありませんか。風は屈み込むと、両手で筒を作り、遠眼鏡でも覗くような振りをしました。そしてあの三人の腕白を見つけました。
「あーら、去年のセミの事も何の役にも立てなくて気にとめて今年も覗きに来たこの風の事もやっぱり、何も覚えてないのね」 辺り一面、花びらの白い雲が立ちました。腕白の三人の顔が楠と桜の木を、不思議そうに代わる代わる見上げていましたが緑の風を見つけることは出来ませんでした。



あの時、山から波へと、道を切り替えていなかったら、こんな事故は起こりませんでした。自分の思惑で出来ることはわずかなものです。何もかもが後の祭りになって行く様に、思えてしまうのでした。地震が奈落に海水を飲み込んだとき、白い風はその波頭と一緒に渦巻いていました。やがて津波の背を押して、海岸に思い出を追加し消耗するように次々と押し寄せました。波は信号機のある交差点をアスファルトごとめくり、人も大勢攫っていきました。逃げ惑う人々が流れてゆく家の屋根に追い詰められ、風に手を振るのでした。波を追い越してみると、そこには高波に追われ、子供を抱いて逃げ惑う人々がいました。そのときになって、風は大きな罪を犯したような気持ちになりました。だから今朝は何事も忘れたくて、中田島海岸の波頭とたわむれ、充分反省してから寿荘にゆっくりと近づきました。波は相変わらず、白馬の鬣のように逆巻き暴れました。でも中田島の波は飼いならされたように、防波堤のこちら側で規則正しく引き返してきました。人を家ごと攫って行った恐ろしい津波と、同じ波だとは、とても思えません。それから、道を切り替えて陸に上がって寿壮に向かいました。道すがら、佐鳴湖の片葉の芦から、飛び立つウグイスとテントウムシとカタツムリに会いました。テントウムシは自分の巣が
「火事だ!」 と、子供たちに囃し立てられて、飛び立つところでした。風は自分に向かって言われたように思いました。津波の肩を押して、災難を招いたことが蘇ってしまったのです。でも、テントウムシは子供たちに騙されたのでした。空にむけた人差し指の天辺で、飛び立つほかなす術が無くなったとき、子供たちにタイミングよく囃し立てられたのです。「テントウムシ、お前のうちが火事だ」 テントウムシの背中は太陽を反射して、背中が燃えるように光りました。
「かわいらしい背中の火を使って、テントウムシの狭い茶室で、虫達を呼んで茶会でも開くのだろうか」 強情な嘘をついた子供たちでも飛び立ったテントウムシを惜しむように、そんなことを思っているのでした。片葉の芦でかこまれた茶室のお客さんは、一体誰なのでしょう。白い風の右肩が、にじり口の障子をこすって横切りました。芦の葉を這うカタツムリを、ウグイスやモズが食べているのも見ました。カタツムリの思い出のすべてを、ウグイスやモズが引き継ぐのだ、と思いました。そうでなくては風の罪は消えないと思えたのです。たとえすべてが火山とともに消え去るにしても、すべての思い出が一斉に燃え盛って風になるのです。そう、風にとって、死や別れは生命体だけに起きる類まれな現象に過ぎません。
「カタツムリがウグイスやモズの中で燃料として燃え尽きている」 白い風には、ウグイスやモズはカタツムリの記憶を燃やして飛んでいる。未来の省エネ型円盤のように見えました。白い風はカタツムリが赤ちゃんの頃、芦に歌ってもらっていた
「ゆりかごの歌」 や。
子供を生んだ頃歌っていた
「カタツムリの子守唄」 を思い出して
「びゅうびゅう」 と、ご詠歌に編曲して繰り返して歌いました。
風は寿荘の個室にたどり着きました。
「さあ!」 と、主人に意気込んで話し掛けようとするのですが。電気スタンドの傘の中で、急に勢いをなくして消えていました。



透明のペットボトルで作った風見鶏が寿荘の入り口にありました。それはプロペラつきで、いかにも村の発明家が考え出したような代物で、街中のいたるところでカラカラと回っていました。
寿荘の西南の方角では、結婚式専用のトリニティー教会が防風シートをすっぽりかむって本体を消して、最後の仕上げに取り掛かっていました。真南にある大学の正門は西向きの大きなガラス壁に囲まれていました。近隣のコンビニ入り口から漏れる光を、ラメ色に照り返していました。蛾の群れがガラス壁を襲っても、それは本物の光ではありません。蛾の大半は、大ガラスに映った光にぶつかって落ちてしまう運命なのです。電信柱の変電気は風見鶏がつくった透明の夜風にあわせて、低音のビブラートで蛾の運命を嘆くのでした。
「あんた達、カワセミをちょっとでも見習ったらどうなの。カワセミが水面と鏡をどうやって見分けるのか」 そうです。カワセミは、水面を鏡と間違えず、思い切り飛び込んで餌を加えて戻ってくるのです。そのカワセミの用心深さを忘れてしまったために、蛾の死骸の山が出来ているのでした。風は映画の透明人間のようにガラス壁を、すり抜けられると思い込んでいました。しかしそのガラス壁という奴は、一筋縄では行かない鏡に姿を変えるのです。そして飛び込んできた透明の滴を、わたしに送り返してきたのです。
この見えないはずの透明な風に、向けてーほっといてくれれば、そのまま校舎を通過できたかもしれないのに。強情にも程があるじゃないですか― 透明の風は水銀のように丸く固まりました。鏡におちた一滴はポロポロと分裂して目に見えないほど、小さくなっていきました。やがてクオークになって、時と空間に吸い取られるように消えてしまいました。風見鶏から、次に生まれた風は蜘蛛の巣が物干し台からザクロの木にしがみつくのを揺さぶりに行きました。ザクロの爆ぜた実や、風見鶏の周りで軽く渦巻いていると元気が湧いて、寿荘の君の部屋を覗いて見ることにしました。君はもう出かけて留守でした。西側の窓が開けっ放しでした。プリンターから、紙が50枚も舞い上がり窓の外へ飛び散りました。画面はこちらを恨めしそうに見て、がたがた揺れましたが、しばらくすると節電モードに切り替わって消えました。風は
「これ位が、ちょうど良い」 という事が分かりません。なに事もやり過ぎてしまうのです。ある時などはちょっと力の入れすぎで、山頂からザイルでつながれた登山者達の背後から襲って、バラバラに吹き飛ばしたこともありました。サーファーやヘリコプターや熱気球や縄跳びを絡め取って、人の遊び心を、冷やしてしまった事もよく在りました。この部屋にきてから飛ばした大物は、消し忘れた電気ストーブでした。倒れると消えましたが火事になるか、と思いました。そんな留守番をしていると台所で
「プシュ」 と、音がしました。洗濯機へ給水を終わったホースが弾みではずれました。水が勢い良く飛び散り、流し台から溢れ出しているではありませんか。風は慌てて、蛇口に飛び乗りましたが、どうすることも出来ません。水に驚いたねずみが台所から飛び出して部屋を駆け巡りました。
ゴミ箱へ飛び込んだと思ったら行き止まり。柱を駆け上ったが、天井への抜け穴がありません。それでまっ逆さまに駆け下りました。物干し竿のシーツのほうへ帰りかけた風はもう一度窓から戻って、ねずみとの鬼ごっこになっていました。でもねずみは風などちっとも恐れず、ばかにして、すばしっこく追いかけてきます。
それで、ねずみの顔のそばでアルミホイールを思い切り揺すってやりました。ねずみは散々暴れまわって、ひみつの脱走口から部屋の外へ逃げ出したようでした。隣の猫が居る物干し台の方へ。その間も、水は壁を伝って下へ下へと流れ出していました。一階から女性の悲鳴が聞こえてきました。すぐに階段を上る音がして、玄関のドアをドカドカ叩きました。しばらくすると、白髪の大家さんが入ってきました。水道の頭をちょこんとひねりストーブの電源を抜き、西側の窓を閉め、やっと一階の女性を黙らせました。風は何事も無かったように、部屋の外にでることが出来ました。カラスの集団が電線から物干し竿に降りてきて、猫が加えたねずみを横取りしてしまいました。こんなときカラスは鳴きませんね。



二百十日の今日、鎮守の森で獅子舞を見てきました。獅子舞というのは老いさらばえた強情なライオンの事を踊っているのですね。その吹流しの静けさはガラスの鏡や電気スタンドの傘で消えた時とは違いました。聞き耳を立てていると、ガラスの鏡のような水面を抱きかかえ、撫でている水澄ましのような穏やかな気持になるのです。サバンナのライオンの最後の熱い息が黄色い風に乗り移って消えていった瞬間でした。たてがみが枯れて体の肉はたるみ、顔は毛が抜け落ち塗り残しのある自画像のようで。老いたライオンは立ち上がって縄張りと家族を振り向くと、踊るように茂みに消えました。風はライオンの
「ヒュー」 という喉鳴りにあわせて同じ波長の口笛を送ったのを思い出しました。風は怯まずあのライオンと同じように最後の一歩を出してみました。スフィンクスからの質問に答えるように緊張していました。
答えを間違えて風は翼をもぎ取られてしまうことも覚悟しました。そのうちライオンの最の喉鳴りが切ないほど羨ましくなりました。風はひと呼吸すると経帷子である獅子舞の衣を引き裂き、衣もろとも昇天し、終わりの無い憤怒の竜巻となって暴れ狂っているのでした。            

(2009・9・31)