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2010年4月15日木曜日

服喪のConte4 「眠り姫」のなりそこね達



裏庭で
「ユズの大ばか18年」が、今年初めて実を付けたところでした。
「はい、杉の木になってちょうだい。森の杉だよ。春、花粉をぼたぼた落としている奴さ。はい、その杉皮をいまさわさわ洗っていくからね」
父にそう言われて、背中をピンと伸ばしたマサルが、湯船を見るとユズの実が三つのんびりふやけて浮かんでいました。
裏庭から、もいできたのです。
マサルが生まれた記念に植えた苗でした。それが実を付けたのです。
ユズの湯船に入るとその年は風邪をひかないそうです。

なんて、いい香りの実なんだろう。
葉っぱのとんがり帽子を冠って。ところどころに白い小粒な花びらのふちどりが付いている。マサルが
「あなたは誰あれ」 と聞きますと
「マサルと兄弟のように育ったわたしを忘れたの。初めて実をつけて一人前に空を飛び回れるカオリの一族になったのよ!」 
だいだい色の顔を上げ
「天の川にもこんな花びらが一枚浮かんで見えることが、いつかありましたね」 花の縁取りを指差して言いました。
「君はそんな遠くまで飛んで見て来たの。ぼくは、御殿場が精一杯さ」 マサルは言いました
「マサル、その遠い花びらの芯が今チカリと光りました。星が生またのです」 
ユズがそれに気がつくのはかならず新しい星が、生まれた後の事でした。カオリの体ごと溶けてしまいそうな気がして、まともに見たことはありません。
「マサル! 寒がってばかりいないでたまには外に出て星空を見あげてごらん」 ユズはつぶやきました。

「マサルが御殿場にいて留守だった今年の二月この下町に大雪が降りました」 ユズは話始めました。
隣の安部駐車場ではお客様が滑って転んで怪我をしないように。慣れない雪掻きをしましたが、しまいには雪だるま造りのほうが目的になってしまって目にするタドンや、口や鼻にする炭を探して路地裏を駆けずり回りました。
デパートの松葉マークが消え、街の賑わいまで、深い雪に吸い込まれたようでした。
大雪の重さで落ちたカワラ屋根がありました。
わたしはカワラに近づいて
「カワラが空を飛ぶなんて! 昨日は大変だったね。けがはなかったかい」 と、聞きました。
「あのどか雪めが! 弾き飛ばされちゃって、面目ない。あっはっはっ」 カワラは雪の枕に俯いて笑いました。
「君はあの屋根へ、いつ戻るの」 
わたしは覗き込んで聞きました。
「誰かが庭の隅に並べてくれたが割れてしまえばそれでおしまいさ」
屋根にはところどころ穴が空いて、中からブツブツ文句が聞こえてきました。
覗くとそれは昔山奥で花粉を降らせていた杉でした。
「君はずいぶん長い間カワラの下の真っ暗闇にいたよね。ほうら! ユズだよ。忘れてしまったかい」 
杉は考え込んだ後
「そりゃー、おいらは穴の中でカワラを支えて眠ってばかりいたさ! 見てた夢までは、忘れてしまって説明できないがね」 
まぶしそうに答えました。
わたしもカワラも杉も自分の姿と、他人を、見比べました。
そんなわけで、カワラも杉もわたしも、しばらく、自分だけの思い出に、閉じこもって、黙り込んでいました。

次の朝じか足袋に白いダボシャツのおじいさんが、家を覗いて
「こんな手入れの悪い屋根なんてないよ。ばあちゃ、寝込んでいるようだけど82じゃ、わっしより10才若い」
庭から声をかけました。
「92で、屋根にのぼる! やめとくれ!」 
家の中から、おばあさんの声がしました。
「危なかぁない。あっしゃ、この屋根を50年前葺いた屋根職人だよ。14のときから登ってる。こんな屋根は見過ごせねえ。二、三日したら支度して修繕に来るよ」 
ひびが入った壁の隙間から、雪が溶け出して壁が崩れ。風にあおられた塀が隣のアパートのガラスをかすめ。庭の物置小屋に体当たりしていました。
杉は雪どけ水で頬を膨らませました。おじいさんは痛んだところに手を入れて触れていきました。
わたしは乾いた空気を杉のふくれっ面に、吹き掛けました。
杉は森で育った頃と同じ干草の懐かしい香りを浴びて気持ち良く目を細めました。

次の日、風もやんで脛にゲートルをきっちり巻いたおじいさんと、ジーパンの父さんが屋根に這い出しました。おじいさんは天辺で足場を決めてしまうと
「父さん! 断らないよね。6日間で、出来上がりだ」
父さんはそこにへたり込むと肩を落として
「ここは立ち退きが決まっているんだよ。来年には建物も庭も取壊され取り上げられて、誰も帰って来れない更地に、されちまうんだよ」
「父さん! それなら飛ぶ鳥跡を濁さずだ!」
おじいさんは、父さんの肩を強く叩き
「このカワラは製造中止になっている」 
カワラを大事そうに撫でました。
「それで穴の中のおいらはどうなるの。全部直った後のことだけど」 杉はぼやきましたがどこからも返事はありません。
おじいさんはもう物置小屋へ、飛び移っていました。
わたしは、杉から
「まわりが仲良くお祝いしているとき。杉だけが、仲間外れになるのは、なぜ」 と言われたようでした。
「注意! ペンキぬりたて」
「これで、カワラを乗せれば出来上がりさ」 
おじいさんの弾んだ声がしていました。

その夜、わたしは杉のまわりをもう一度「ふうっ」と、ひと吹きしました。
杉は
「君って意地が悪いなあ。何も見えない真夜中に生暖かい風を浴びせ掛けて急に夢から起こすなんて」 と言いました。
わたしは今、生まれた星の事を杉に伝えたかったのです。
ぶるっと身震いしただけで、言葉はうまく出てきません。
「ふん、どうせおいらはすぐにカワラに塞がれる身なんだ。いまさら何かを見る元気なんかないね」 
杉は眼をそむけました。しかし目をそむけた先にも同じ、星空しかありません。
わたしはこの時とばかりによい香りを放ちました。
「思い出したよ。この君の香り! 君は、明るい昼間だけ、おいらのそばに、居たんじゃないね。18年も、家族みたいに一緒だったんだ!」 杉は言いました。
夜空が、幕を開けたスクリーンのように全方向に広がり、杉も、ユズもしっかり繋がりました。

ユズが、そこまで話したとき、父さんに、大人しく洗われていた杉の木は、突然、マサルに戻って立ち上がって、風呂場から飛び出ていきました。

次の日の明け方、マサルは、ユズの香りの、シャボン玉に乗って東空を目指して飛んでいました。
ユズは、スポンジのような柔らかな胸でマサルを包んで、別れのしるしに、真っ白で小粒の花びらをキャップから抜き取るとマサルの髪に刺しました。
マサルは髪の白い花が、枯れないように、裏庭のユズの根方に埋めました。
ガラスのカケラで蓋をすると中に白いカオリの靄が上がり、花びら星雲の芯がキラリと瞬きました。
土をかけ花の墓場を踏みました。
もういちど夢にもどって飛ぼうとしたときマサルの目の前で、なぜかこの家全体が炎に包まれ燃え消えてしまうのでした。

目を覚まして湯船を覗くとごしごしこすって爆ぜてしまっただいだい色の実が三つ浮かんでいました。
冬休みはもう終わっていて、御殿場へ帰る日になっていました。      

(2009・9・15)