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2010年4月9日金曜日

服喪のスートラ11 カマキリのmur-mur

  

カマキリは干からびた寒天みたいな揺りかごで目を覚ました。
松の小枝が東風にゆれると、雪のかわりに木漏れ日が降ってきた。
体長一センチほどの兄弟は、毛糸が絡まるように二〇〇匹も生まれていたが、親の姿はどこにもない。おいらにゃ躾けも挨拶も何もない。生まれたばかりは仲良くだき合っている。だがひとたび腹が減ってしまえば、カミソリのような鎌を使ってつかみ合いだ。どちらかが食われるまで続くのだ。それで月見草をクッションに地面に落ちると、蜘蛛の子を散らすように、お互いに見えないところへと逃げたのだ。おいらは野バラの茂みで生きのびた。兄弟の約半分は死んだだろう。
六月の梅雨の夜、おいらは命の思人に、お礼のつもりで登っていった。
「野バラはおいらの味方に違いない、あのときもこんなによい香りではげましてくれていた」 と思った瞬間「チクリッ」 返事の棘がわき腹に食いこんだ。
油断も隙もありゃしない。
引き返そうとしたが時間がない。一回目の脱皮が、もう始まっていたからだ。四本足を葉っぱに巻きつけ、背中が割れてくるのを待った。
明け方には、棘の横で血管が透けてぐにゃぐにゃの命が脈うっていた。
「おいらを刺し殺そうと、狙ってたなんて。バラの姿や香りなんかに二度とだまされないぞ」 体が乾くのを待ち、一回り大きくなっておいらは地面に転がり落ちた。
めった見せないへっぴり腰を、まっ赤なバラにさらしてしまった。
「お疲れ様。向こう見ずの、お馬鹿さん」
バラはつんとすまし。おたふく顔をふるわせて、風といっしょに笑ってた。
でもその時から、棘あるバラが、おいらのマドンナになってしまったのさ。あの初恋の想い。棘が胸に刺さり、気絶しそうな、しびれる思い。  
初夏の朝、おいらは、最後の脱皮で、大人になった。ぼやけた夏の月が始めて生えた羽の向こうに明け方まで輝いていた。それがはじめてゆっくりと見た満月だった。
八月のある日、茶色に燃え立つ麦畑で、餌を待っていると、青いものが這い出した。首をぐるりと回して鎌を振り下ろした。
次の瞬間、体中が肉汁にひたされていた。おいらは軽い風船が、重い満月になったように満たされていたんだ
「兄弟のカマキリを食べてしまったのかもしれない。回りは敵か餌か。逃げるか、飛び掛って行くか」 考えている暇もない。
九月の野分の吹く日。バラのマドンナに近づけば、千切れんばかりに花や棘を横に振る。一世一代の大人の羽を自慢したのに、おいらは単なるストーカー扱いだった。
「最強のライオンにさえ、家族という慰めがあるというのに」 稲の穂先で、落ち込んで俯いていると、すかさずスズメが飛び掛って来る。おいらは鎌と羽を広げて追い返そうとした。
運よく南の空で折れ線グラフのようなイナヅマが光り、雀は一目散に逃げ去った。
「よーし、いままでにない大捕り物を始めるぞ」 イナヅマはおいらが鎌を振りあげた時には、とっくに消えている。この大物は、なんて素早いのだ。おいらは胸を盛り上げて垂直に姿勢を正した。
「おいらは大人の羽が生えたのだ」 周りの稲穂に溶け込み、身を隠し少しずつ近付いてくる光と音をじっと待つ。
おいらは月が爆発したような生き物を、丸ごと生け捕りにしようとやっきになった。
「折れ線グラフをあやつって自在に空を飛べたなら。鳥もおいらを見なおして、襲ってこなくなるだろう」 その瞬間、脇を飛んでいたイト・トンボが七色に光って
「ドッカーン」 と雨がきた。
おいらは、そいつを手掴みにしたらしい。
火傷の鎌を開いてみると煙のほかに何もなかった。なんども、稲の根もとで、構えたが、そいつは見向きもせずに行ってしまった。おいらは電気ショックで腰が曲がったようだ。
十月は、妙に寒さが身にしみた。意固地なおいらでさえ、田んぼや野原や畑で仲間を探して飛び始めるありさまだった。凍える月明かりが
「私は世間をくまなく見たが、冬の生き物はみんな貧乏で、わが身を削って生きている」 と教えをたれていた。
食べてしまった生き物が、幽霊のように生き返り、おいらは罪人だった。それを云ったらおしまいだけど、もう殺生はこりごりだ。
―心配ないよ。餌はもうどこにもない。せっかく生えたその羽を、お嫁さん探しに使え―
天から聞こえたその声は、十一月の両親が、歌ってくれた子もり唄そのものだった。
おいらは、バラじゃなくカマキリの君をやっと見つけ、お尻のそばへそっと降りた。
そして固くなってふるえながらプロポーズした。
「お腹がすくね。雪ももうすぐ降るだろう。おいら達って、帰って行く家もないんだね。野原のどこにも餌はない。目に入るのは敵の鳥ばかりだ。父も母も冬を越せない身の上だった」
言い終わらないうちに、君の鎌がおいらの胴を、まっ二つに切り裂いた。生き残った君はおいらを食べて、満月のような卵を二00も産むだろう。産み終えてすぐ死んでしまうきみに頼んでおきたい。
この十一月のカマキリの悲しみを、子もり唄にして、ゆりかごの卵に、歌ってから死んでおくれ。きみがそうしてくれたなら。松の小枝は東風にゆれ。雪のかわりに木漏れ日が、揺りかごの絡まった緑の毛玉を揉みほぐす。       

(2010・1・26)