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2010年4月10日土曜日

服喪の mur-mur 適度のストレス



オレンジの体にオパールと、エメラルドのマントを纏って朱色の二本足ですっくと立っている。
見たことも無い美しい姿が鏡のような水面に映った。
おいらは餌探しで精一杯で、水に映った空や雲になど気が付いたこともなかった。太陽などは邪魔者以外の何ものでもなかったからね。
「世の中にこんなに綺麗な物があったんだ。なんだろう」 と思った。向こうもちょっと首を傾げているところを見ると生き物らしい。影の裏側にはおいしそうな小エビが、のろのろと餌になるのを待っている。おいらは、勢いよく小エビめがけて、枝を離れて水面に突っ込んだ。宝石のような物が風船玉のように、目の前に広がってぶつかってきた。水面が、虹色に光ると、後は水の中に、ちらりと小エビが見えただけ。
おいらは水面の影に気を取られ、小エビの事は忘れて、力いっぱい、突っ込んだ。水面が割れた時、水めがねの役をする幕を出し遅れていた。勢い余って、エビを取り逃がして川底の、岩肌に激突してし、目をやられた。
枯れ枝に舞いもどると、ぼやけた虹の欠片が水面にちらっと揺れた。目の傷のせいでそう見えるのかもしれない。餌も咥えず、慌てて巣に戻った。
狭い入り口に尻尾から入ると、巣穴は蛇の気配も子供の気配も無く全くの空っぽだった。
「そうだった、子供たちは餌捕り特訓を終わって、昨日巣立ってしまったんだ」 しばらくすると、妻が戻ってきた。
「三羽が同時に巣立ってしまうなんて、むなしいもんだね」 おいらは言った。
「そうね、それで餌取りする気もせず、ぶらぶら散歩して来ただけなのね」
その日は妻の捕ってきた鮠をもらった。
口移しで 貰ったのは雛のとき以来初めてだ。
「一週間、厳しく訓練したけれど、急に、やることが無くなるね。寂しいもんだ。」
美しい生き物のため、取り逃がした小エビの話をしながら、目の傷を妻に見せた。
「これから、本当の人生が始まるというときに『餌を取れなくなった』なんて、惨めな言い訳はやめてくれない!」 妻は今まで通り縄張りを広げる事ばかり考えていた。
次の日、二羽で餌捕りに出かけた。妻は一声鳴くと、見事なフォーバリングで、小エビを咥え、早速巣に戻って食べた。仲間は、その場で、いきなり生き物を、飲み込んだりしないんだ。おいらも一匹の鮠を咥えて巣に戻り、
「ご馳走様」 と遺骨を残したが、それだけで腹いっぱい。また枯れ枝に止まったが、自分だけが食べる餌を捕るのが
「ママゴト遊び」のように嘘っぽかった。あたりで、カシャカシャと、シャッターを降ろす人間共に踊らされているような気もしてきた。おいらは餌を追うのをやめて、目立たぬように岩に降りた。苔むした岩には、樹皮を剥いだ枯れ枝が、岩に結わい付けてあった。
「これは、何なの」 おいらは岩にこびり付いている苔に聞いてみた。
「これは私とちがって青々としていません。流木といって、根っこもありません。人間がカワセミのために作った飛び込み台という仕掛けです」
「仕掛けって何ですか」
「あなた達が、餌捕りに便利なように、人間が作ったものですよ。その見返りに、カメラを構えて、きみたちを一日中、追いかけているじゃありませんか。目立たない苔にとってはうらやましい限りですよ」 苔は俯きながら言った。
「でも、このごろは川底の釣り針が気になって仕方ないのよ」 苔と話していると、妻が仲間を連れてやってきた。仲間達は枯れ枝の二股の天辺に、止まってためらいも無く、飛び込んでいく。
足元に運悪く髭ぼうぼうの土の固まりそっくりの川ガニが隠れてた。おいらに駆け寄ると、足を挟んで離さない。岩にもたれかかって嘴を使って難を逃れた。
「川ガニなど恐れて、もし相手が蛇だったら、今頃、丸呑みされてたわ。突然どうしてそんなによぼよぼの足になってしまったの。ここはわたし達の縄張りなのよ。守らなくては若いカップルに、乗っ取られてしまうのよ」 妻は枝先でおいらを睨んで言った。
「仕方が無いわ。近所の子育てが終わった仲良しに、手伝ってもらうことにするわ!」 妻と二羽はおいらを脅すように飛び回った。
「昨日まで守り続けた餌場にも、子育てが終わった私にも、未練などもう無いんでしょ! 私たち三羽で縄張りは守ることにするから、あなたはすぐ出ていって。生まれ故郷にでも帰るがいいわ。苔に、進路相談するがいいわ」
おいらは川上に向かって逃げるように歩いた。
カニに挟まれた足をかばって、一本足と片方の羽で体を支えていると、親しみを込めてるはずのシャッター音も、命を狙うポンプ銃に思えてきた。
「これからは自分の食い扶持だけ捕れば、後は全部が蓄えよ! 時間だって全部自分のものよ。美しさだってカメラを吸い寄せるほどだし。力を合わせてもう一花咲かせましょう。他のカワセミが近寄れないように。私は、歌をもっと上手く歌うわよ」
子供を生んだことの無い同年輩が、高らかに縄張りを主張した。
「蛇から身をまもるための談話室も作って三羽で心豊かに暮らしましょう。それぞれゆづり合って旨くやりましょ少々の我慢もしてね。未練たらたらで縄張りを捨てていく人を。励ましたらだめよ。自殺するかもしれないわ」くちばしが黒い元妻が歌舞伎の女形のような甲高い声で言った。
「突然、カワセミが川に潜れなくなる。なんて、聞いたことも無い」 口が朱色のカワセミがおいらの役目を引き継いだが、その後どうなったのだろう。おいらは気を失ってその場に倒れてしまった。
気がつくと人間の手から擂り餌をもらっていた。プライドが許さなかった。鴉にでも襲われたほうが納得がいく。それで羽をばたつかせてみたが、点滴の管と足のギブスが絡み付いて体がうまく動かない。七の日目の朝おいらはその鳥小屋から脱出した。というより素直に告白しておこう。
「まだ、生きろ」 と人間に野性に戻されたわけさ。
飛びながら冬の雪の中、薄氷の谷川に飛び込んだ自分を久し振りに思い出した。餌を咥え、小さな巣穴に、お尻から入って、子供たちを驚かせ喜ばせた。あの時おいらの背中は、どんなに男らしかっただろう。
しばらく行くと、見たこともない。名前も知らない、丸いものが同じ形で、一面に咲いていた。鳴き声も出さずただ風に揺れ頷きあっている。
「うらやましいなー。君たちは、なぜそんなにどっしり座っている事ができるの。餌はどこから取るの。何も吐き出さないの」 尋ねたが、おいらが恥ずかしくなるほど落ち着いて
「餌は根が吸い上げ、炭酸ガスを吸って、空気を吐いて生きているのよ。花は咲いたら、種を残してミーラのようになって散るのよ。あなたが七彩色でどこへでも飛んでいけるのを羨ましがっていたのは私たちのほうよ」 決められた色で咲いて、嵐が来てもじっと動けない。逃げ出すおいらと同じ苦労をしてるんだ。
枯れ果てミイラのような種になって枯れてしまう者と、おいらの老いと比べながら、山奥の渓流を昇って行った。気がつくと、腹が減っていた。ここにも枯れ枝が岩に突きさしてあった。おいらは思い切って枝に止まった。
「しーっ」と、人の声がして、シャッターの音が谷間に響いた。水の流れに、虹がぼんやり浮かび上がって目の前に迫って来る。
「この姿は巣立った子供たちや妻にも良く似てる。するとこれが、おいらのありのままの姿だった」
おいらは病気でも怪我でも意気地なしでも何でも無い。新学期に良くある軽い鬱だった。極楽からでも飛んできたような凄い姿に、突然気がついたのだ。その出現に今しばらく慄いているだけなんだ。そう思うと、不安が消えて勇気が湧いた。勢いよく、小エビに向かって飛び込んだ。小エビは難なく捕れた。
その夜おいらはダムのコンクリートの小さな穴に、止まって夜を過ごした。
「さて、これから、どうしたものだろう。餌を捕れるようになった」 とは言っても、元の縄張りには戻りたくない。
渡り鳥達は、満月の夜、のわだかまりを捨て心を一つにして、違う空に一斉に飛び立つのだろうか。
地球全体が縄張りなんだ。細かいことで言い争ったりしない。おいらは、東南の空を見上げた。星の巣だった。蛇とか鷲とか、サソリとか、鳥にとって不吉なものが、登ったり降りたりしている。
水がダムから滝のように渦巻いて落ちてくる。
「明日、ダムに飛び込み餌を加えて舞い上がるんだ」 水に飛び込む虹のような姿のほかは、何も思い浮かばなくなっていた。次の朝、ダムの畔で夢に描いたホーバリングをして餌に向かって突進した。獲物底なしのダムに潜ってしまった。
ダムより上流の谷川に向かった。そこにはもうシャッター音は無かった。谷間の村落の石の地蔵さんに手向けるようにして清い水が流れていた。地蔵さんの頭に止まって一日観察した。年寄りの薄い影が時々歩いてきて、臆病なおいらを追い立てた。おいらが糞で汚してしまった赤い涎掛けを変えたり頭を磨いたりした。お構いなしにそこに止まって餌を探した。石の下に吸い付いて隠れているナメッチョと言うおいしい魚を狙ってみた。すると石ころだけの川底に、餌が一杯見えてきた。村の子供がおいらの嘴を見て
「カワセミがナメッチョを咥えてる。味噌汁の出しのナメッチョが、美味いと見える」 と囃し立てていた。でもそんな事は長く続かなかった。
山奥ははタカとトンビの勢力争いの最前線で、餌の奪い合いで攻めたり攻められたりを繰り返していたのだ。ある日、御地蔵様に向かっていると、いきなりわき腹めがけてタカが飛び掛ってきた。
トンビは注意深く空を旋回しながらタカの狩りの様子を伺っていた。おいらは本能的にダムに向かった。深いダムにタカは潜れないだろう。おいらは深緑色の石のようにダムに落ちていった。タカも水面まで追いかけて来て今日の食事にありつこうとした。おいらは初めて身を隠すために、水にもぐった。でもその記憶はなかった。
そうするほかに生きる道はなかった。人間に捕獲されたときカラスに食われたほうが良かったというのは単なる強がりだった。どれくらい息が続くのか試したことが無いので分からないが、なるべく時間の続く限り浮かび上がってこないようにしよう。
トンビは先に飛び去るだろう。
タカは今でも水面すれすれを飛び回っている。
「ダムの水を通り越した先に、空気のあるタカのいない別世界がある」 とも思えなかった。
カワセミは餌を追い、時には餌となって追われる野生に帰り、適度のストレスの中で、いつのまにか生き始めたのである。

(2009・8・27)