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2010年4月14日水曜日

服喪のConte 変身の予感

      



秋の終わりの天気がよい日曜日、ユカは父さんに弁当を届けようと思った。
「父さんのマザーグース見てみない」 と弟のゴリに声をかけた。
「そんなもん居るはずないよ。いても見えっこないよ」 ゴリは答えた。
「弁当を届けながら、暇つぶしに、行ってみようよ」
「コスプレの魔女のばあさんにわざわざ会いにいくの? 歩行者天国の真ん中に、アヒルや鵞鳥に乗ったおばあさんなんかいないよ。それより鵞鳥って飛べたかなー」
「それ。それって大事よ。調べる気持ちが。歩行天で遊んでこようよ。お天気も良いし、ゲームばかりしていちゃあ、天気がもったいないよ」
ユカは弁当を包みながら、ゴリにけしかけた。
「大道芸なら見ても良いかな。ぶわあ、と火を吹く奴」 そんなわけで、地下鉄にのって新宿の6階建ての本屋さんに向かった。
東口で降りると
「きょうは、絶対なにもしないぞ」 と決めた人たちが突っ立って、北側斜め上の大型テレビ画面を、ナキウサギのように見ていた。右折して人ごみを掻き分けると歩行天が始まっている。
笛や太鼓のアンデス民謡では、観客のおじさんが足を自分の頭の上まで振り上げ、曲に遅れもせず本気で踊りまくっている。近くのダンス教室の先生にちがいない。
そしてそれが当たり前のように、その場になじんでしまっている。歩道にあがれば書店前の待ち合わせの一団が三々五々エスカレーターに吸い込まれていく。ユカとゴリも吸い込まれた。裏側に階段もあるのだが、行きはどうしても吸い込まれ率が高くなる。
「お店に入ってみようか。やめとこうかな」 と思った瞬間に、吸い込んでしまおうという仕組みである。
「1階と2階の中間あたりで『やられた!』もう入るっきゃない」 と、肝が決まってしまう。
エスカレーターから押し出され、その余禄で、だらだら20歩ほど行くと。左側のイヴェント・コーナーの赤毛氈上に、ライティングされた金ぴかの本が並んでいる。
一番目立つ壁の真ん中には裏地が青で、コールテン仕立て、赤いモーニング姿の猫が立っている。ベージュの帽子に、かかとを、踏み潰した靴をはいた猫の、自信に満ちた目。
首に挟んだバイオリンを、聞き耳を立てながら弾いている。
白いチョッキを、お臍の上あたりまでのぞかせ、その下には黄色い半ズボン。
「なんて、おしゃれなのら猫」 16才のゴリ。
「かんわ! ゆい」 19才のユカ。
真ん中左に、ガチョウに乗った赤と黒のとんがり帽子の、赤マントの魔女が本を読み読み、どこでもないところへ飛んでいく。どこでもない時間に向かって飛んでいる。
「マザーグースって、魔女なの」とゴリ。
「人攫いみたいなおばあさん。でもみんなおしゃれなのね。私負けそう」と、ユカ。
そのとき、コーナーの真ん中の穴倉から、蝶ネクタイの父さんが飛び出して、
「よく来た、よく来た、まあ座んなさい」 と椅子を出す。しばらくの間は客扱い。父はお客が居ない売り場でつくった
「テントウムシの自宅はお日様だ の歌」を二人に読み聞かせてくれた。


これは赤テントウムシの丸い家
丸い家からみた地球の
円盤飛び立つ基地が
ある草原のカラスノエンドウに
集まった子供達が
見つけたテントウムシは
死んだふりして地面に落ちる
それを手のひらにつまみあげた少年を
見つめている少女がはやしたてた
「目を覚まして飛んでいけお前のうちが火事だ」
テントウムシは目を覚まし天をさしてる少年の人差し指に登る
テントウムシは背伸びして羽を出し一直線に舞い上がる
テントウムシの円盤はお日様めがけて飛んでいく
子供達は見上げてた赤い羽を輝く丸い家が吸い込んだのを

こんな歌大人になっても覚えていておくれ

「父さん。どんな仕事してるかと思って、お弁当もって見に来たら、こんなことして遊んでたんだ」 ユカは言った。
「マザーグースってこの絵のことか。だまされた。やっぱり本物はいないよね!」 ゴリは言った。
「いないと思うところにいるんだよ。いると思うところに、いないんだよ。トンチンカンの変り者だからね」販売員の父さんとしてはそれがいないと困るのだ。
「お弁当、今日はないと思ってたら、今こうしてあるだろう」 父は猫を見て、足を止めた本当のお客さんのところへ行ってしまった。
「猫の足元を見てください」 とお客さんの足元の落し物に注意させたり。
「今、おうちが火事かもしれませんよ」 と自宅のコタツを、ちょっと心配させたり。
「あなたが通り越してしまわなけりゃ、私の話ももうちょっと 長引いたのに」
誰も居なくなった売り場で、一人で嘆いてみたり。
女学生は「女の子って、何で出来てる?」 と聞かれて、振り返りながら逃げ去った。
「心配ないよ。私の父さんだから」 ユカはつぶやいた。
そしてお昼ごろお店を出た。
父は非常階段のコーナーで、ジャック・ホーナーと並んでお昼を食べただろう。
私達は花園神社の境内で、同じおかずのお弁当を食べた。展示コーナーでは相棒のおじいさんが、
「売れた。売れた。マザーグースがまた売れた」 と叫んでるだろう。
外から、かすかにアンデスの笛の音が流れ込んで、猫の大きな目が雑踏の足を止めさせる。
「わたし、こんなのが、大好き」 また、新しい少女が集まってくる。
そんな日が三ヶ月も続いたある日、商会からひょうきんな父さん宛に手紙が来た。
マザーグース商人 Nさま  
せんだっては、マザーグースに会いに、わざわざ日本よりお越しいただき、ありがとう。
その節はロンドンではビッグ・マザーに本当に、お会いできましたか。心配です。あなたは
「本当に会えた」 などと、行商しながら、人に言いふらしてはいないでしょうね。心配です。健康を祈って差し上げた山羊足のブーツを売り場で見せびらかし、得意になって自慢していないでしょうね。ますます心配です。このたびも、商会は、オーストラリアにて、魔女探しに再挑戦していただきたく、ペアーでご招待したいと思います。  山羊足商会より

父は去年の、オックスフォード招待には仕事に役立つと思って行ったようだ。
オーストラリアはマザーグースの親戚の結婚式に招かれたようで、気が進まない。そのために家計が傾くと、いちばん困る。ユカとゴリのペアーではいけないか、山羊足商会に問い合わせたら、展示コーナーの相棒のおじいさんが旅行にも同行し、付き添い役をしてくれることと。
「ゴリもユカも商会の熱心なファンで、売り場にもよく弁当を運んでくれた」 商会に、推薦状まで書いてくれたらしい。それで商会から、しぶしぶながらも「ゴー」サインが出た。
「回りに、あまり迷惑をかけません」 おしゃれなのら猫の前で宣誓させられたけど。



父さんと同じ売り場のおじいさんが黄色いはでなシャツを着て現れた。
大きな旅行カバンで、プレハブの階段をガタンゴトン揺すって、あれは十二月のはじめだった。
「ユカちゃん、ゴリちゃん。冬休みの宿題は終わったかな」 と迎えに来た。
「お父さん、礼には及ばんよ。娘がケアンズからなかなか帰ってこないんで、この機会に会いに行くんじゃ。旅は道ずれ。世は情け。だから二人とはゴールド・コーストまでのご同行なんだが。お互い様の、よろしくってなもんだ。」 父は出勤時間で、3人に黙って手を振ると、いつものイヴェント・コーナーに向かって急いで出て行った。
三人はゴロゴロと、電車を乗り継いで、空港に着くころには縁日かお祭り気分になっていた。行きかう人は飛ぶようにというより、もう飛んでいて、頭は空っぽ。浮き立った体に、足は邪魔者のようにぶら下がっている感じだった。旅なれた賢い人はいすに座って出発時間が来るのをじっと待っている間に、ホールでの初顔合わせがはじまった。
「親子ずれ夫婦ずれが多い。姉弟組みは珍しい」 そうと思ったぐらいで、あとはうわのそらだった。みんなの自己紹介が終わったところで、山羊足商会の世話役という人が
「えへん。おほん。エー。このたびの旅はあー。隣の人の顔だけはよく覚えて迷子にならないようにエー。肝心なことは子供だからといって、大人の面倒を見るように。大人だからといって、子供から目を離されないように、むにゃむにゃ。私は独身で、皆さんのお供をするだけの世話役で、何の役にも立たなくなるのが、世話役の目標でして。特に今回の皆さんのお仲間には16才と19才の姉弟ずれがおります。そこの黄色いシャツのおじいさんが付き添い役を買って出てくれたおかげで特別許可が出た、珍しいケースです。なにぶん目配りのほどお願いしておきます。では、待っている飛行機に乗り込むことにしましょう」
そう言った時、黄色いシャツのおじいさんがさっとマイクを取って
「今紹介いただいた、私がこの子達の全責任を負わされた。付き添いの黄色いシャツです。支度をしながら、聞いてください。旅行の肝心は保険に入っているからといって、カバンを預けるときに、カナダ行きとか、オランダ行きに、おかないことです。そんなことをすると、お客さんがとても得して、ホテルがとても損をします。荷物が無事届かなかったお客様の部屋には花束とかご盛りの果物を置いて、お詫びのしるしにするからです。でも安心してください。ここが保険のいいところですが、荷物はカナダとかオランダを通過し、地球を約一回りして、次の日、確実にホテルに届きます。誰もこの私のような、旅なれたことはしないようご注意します。それから、ホテルのバス・ローブや、銀のスプーン、ナイフ、フォーク類を日本に持ち帰らないように、ってこと。旅行の肝心はそれに尽きますかな。これを守ってよい付き添いになろうと思っていますよ。この私は」
と云ったので一行はどっと笑った。
タイミングから言っても、緊張した一行を笑わせた力量は並大抵ではなかった。
移動を始めながら、ユカとゴリはこの前、父から聞いた、テントウムシの歌のどのへんに当たるのかなと思っていた。
「目を覚まして飛んでいけ のあたりかな。さあタラップを、上るよ」 ゴリはいった
「テントウムシは目をさまし天を差してる少年の人差し指に登る 飛行機は助走路に、ゆるゆる、動き始めたよ」 ユカがいった。
「テントウムシは 背伸びまでして羽を出し一直線に舞い上がる だったね、でもその先は、誰にもわからない」 二人は声をそろえてそう言った。
天と地と雲の上に、ぐんぐん上り、陸地がグラーと傾いて、覆いかぶさると、海の上に出た。それから先は、12時間と半年が瞬く間に過ぎてゆく。



コック・ピットの話がもれてきた。
「最悪だ。ニューギニア島あたりで、積乱雲に、突っ込んだ」 機長の声だ。 
きっと、トイレのスピカーだけ消し忘れてるんだ。
「機長、旋回して軌道修正しまひょか」 操縦士だ。ユカは手すりを両手で握り、ちぢこまった。
「駄目だ。闇夜で雲の中だ。正規航路を簡単にはずせない。もう10時間も飛び続けているのを忘れるな。突き進むしかない。キッチンのスチュワーデスを叩き起こして待機させろ」 公園のトイレで、スズメ蜂と出っくわしでもしたように慌ててしまい、足元でジーパンが絡みつき足ががくがく震え始めた。
「機長。さ、さっそく雷さん。右翼を直撃でっせ。」 機体が右に傾いたらしく、右足でふんばった。スピーカーは続けた。
「豆粒ほどの穴をおおげさに報告するな。それよりお客様を落ち着かせる方が先だ」 ユカは、落ち着こうと深呼吸した。
「ただ今雷の隙間を縫って飛んでいますー。と放送しときまひょか。宇宙船ボーイング号は隕石群に突入ー。にしときまっか」 だれにも聞こえないと思って言いたい放題になっている。吐き気さえしてきた。
「こんな会話が客席に伝わって、お客さまが恐怖に駆られて席を立たれるのが一番困る。そんな兆しがあれば旋回どころか日本に引き返す。」 ユカは素直に納得した。引き返されたくない一心で背筋をピンと伸ばして、機長の要望に添っていた。
「残念でおますなー。機長。引き返せなくなりました。左翼外側のエンジンにも落雷。燃料も少し漏れ始めたのと、ちゃいまっか・・」
「・・直進で正解だった。この巨体で旋回していたら燃料切れとエンジン停止で海の藻屑になるかもしれん」
「それじゃ、前進あるのみじゃござりませんかー。機長。ワーハッハ」 ユカもさっきから体全体が痙攣でガクガクしている。
「ばか笑いはそれくらいにして、500人の乗客のことを考えろ。黙って非常着水のイメージ・トレーニングでもしていろ。ほおら海面すれすれだ。我が翼よ、浮け。海中に頭から潜るんじゃない。水平。水平を保つんだ」 水平、水平と怒鳴られてユカはそんなとき機体が平衡を保てるかどうか、そっと手を離して人体実験でためしてみた。
「機長。驚かさんどいてんか。冗談も休み休みにしとくれやす。ほうら3000メートル級のエアー・ポケットに落ちたじゃないですか」 ユカの体が宙に浮いた。便器から水がふきあげ天井までぬれた。
「機首を一杯に上げろ。中央突破だ。これが一番の安全対策だ。雷など気にするな。その代わりニア・ミスだけは許さんぞ。レーダーから目を離すな」
ユカは床を転げながら、座席に戻ってきた。
「さっきから、いやに揺れるね」 ヘッドホンを聞いているゴリは言った。
「それどころじゃない。コック・ピットの話だと今、機体は最悪らしいよ」
ユカはそう言うと膝を抱きかかえ、びしょぬれのまま縮こまって俯いた。
外は豪雨で雷がピカピカ光っていた。
「皆様、シート・ベルトは外さないでください。窓のブラインドは下ろしてください。では助手と二人で、救命胴衣の付け方をやってみます、、。そうそう風船膨らめる要領で・・1・2・3・・あとはベテラン機長に、おまかせください」
「お客がパニックを起こさないよう、落ち着いた振りをしているだけなんだから」 ユカが皮肉っぽく言った時、天井から酸素吸入器がいっせいに落ちてきた。
スチュワーデスの笑顔が電灯の点滅と、急降下でゆがんでみえた。
座席に正座して観音経を唱える婦人の声が霞んでいった。スチュワーデスはいつの間にか消えて、ジャンボ機はインド洋と太平洋のさかいを迷走した。



大海原を越えた機長さんから、直接の機内放送だった。
「お待たせしました。ただ今、困難な気象から脱出しました。晴天の大陸がすぐに足元に見えてまいります。その前に最初に見えてきた島をご覧ください。オーストラリア入り口の、木曜島です。周りを鯨がゆったり泳いで皆様を出迎えていますが、見えますか。もしそれが見えるお客様。お一人様でもいらっしゃいましたら、スチュワーデスまで遠慮なく申し出てください。機長賞を差し上げます」 機長は何かを乗客に伝えたいが素直にそれが出来ないタイプなのだ。冗談を言う余裕が出来て、人にお礼を言いたいのだが、実際にこの航路がどんな困難で怖いことだったかは具体的に言えない。上機嫌だけの、的外れなアナウンスがすべてを物語っていた。それからしっかり地面につながっているバスに乗り換えた。
付き添いの黄色いシャツのおじいさんは
「いよいよ着きましたな。荷物はどうしました」
とも言わず、肝をつぶしたまま黙り込んでいた。バスは空港からの乗客の気持ちを、推し量るように静々と滑り出した。オペラ・ハウスで止まった。帆かけ船をかたどった、大理石の建物で、舞台では毎日進水式騒ぎをしている。でも出帆もなく揺れることもない安心のかたまりだ。ゴリとユカは、劇場のゆれない座席にふかぶかと座ったものだ。地球裏側の冬から出発して、半年も飛び越して今、真夏のシドニーだ。さっきのあれはSF映画のタイム・トンネルに入った時の特別のゆれだった。機中のことが恐怖映画の予告編のようにまた蠢き始めた。外へ出てみると大キノコが胞子を振りまきながら待っていた。
「親指トム」 ど思い出し、ゴリとユカが近づいてみると「なあんだ」
どの街角にもある、煙を吐いている灰皿だった。出勤時間。横を白ワイシャツにネクタイの人が
「東京の灰色紳士」とおなじように地下鉄入り口で、煙みたいに吐き出されたり吸い込まれたりしていた。ディズニーランドの小人やミッキーマウスのような歓迎はないようだ。
木曜島の見えなかった鯨。上陸のときスチュワーデスから振りかけてもらった防疫スプレイと、カンガルーのお祝いのワッペンでお終いだったのだ。でもあのスプレイは新郎新婦にまかれた花びらのようで照れ恥ずかしかった。



何もかも、東京と同じ風景とあきらめそうになったとき、ふたりは派手な看板を見つけた。どう考えてもこれは事故現場か殺害現場の、見取り図だ。犯人の証拠になりそうな足跡と言い、飛び散った原色の血糊と言い、下のほうには青ざめた似顔絵と、名前や日付まで入っている。
おびただしい数の鳥のレントゲン写真が看板を埋めている。
「あら、ここ焼鳥屋さんにしてはしゃれてるわ。民芸品屋さんみたいね。ちょっと、寄り道していかない」 
店員はふたりに似合いそうなエメラルド・ブルーの水着を取り出した。
「何も言ってないのに、どうして分かったのかしら。冬立ちだったので。確かに水着を忘れてきたのよ。このかわいらしい水着海に入ると魚に食べられてしまいそう」 ユカがそう呟くと「イエッ、イーエッ!」 店員は黒い顔の白目を、鏡のカケラのように光らせた。
「いえ、いえ! この水着はお菓子などではございません。本物のイルカの肌が刺繍で埋め込んであります。それがダイバー・スーツになっていて全身をすっぽり包みます。このMR・ディリ・ジェリーズが保障しますよ。このイルカ肌の水着で空を飛んだ人も居るそうな」 ラップでも歌うように話しかけてきた。コアラとインコの絵を描いて
「コアラは抱くとだんだん弱って死んでしまうこともあるんだよ。昼間はユーカリの木の天辺で眠らせておくのが一番。日本の蛍と思えばちょうどいいでしょう。蛍は水辺でそっと眺めるのが風流でしょ。団扇などで叩いて捕まえちゃ、風流が台無しになってしまう。それをここでも守ってくれたら。コアラが水を飲まない訳と、鳥がきれいな色をしているわけを教えてあげる」 ディリ・ジェリースさんの白い歯と、赤い舌で日本語がうまく転がり始めた。
「昔、旱魃のとき村で水を貰えなかったいじめられっ子が居ってのお。村人が狩で留守になった時、その少年はいつもの仕返しに村の水を全部ユーカリの木の上に、運んでしまったそうな。それから『ユーカリがぐんぐん伸びる歌』 を歌って、村人の手が届かないところまで、水を持って行ってしまったそうな。 村人は怒って仲間の魔法使いに仕返しを頼んだそうな。少年は魔法使いに捉まって、高い木の上から地面に投げつけられて潰れてしまったそうな。 しかし、アボリジニの祖霊は少年をコアラにして命を救ったんや。その時から、コアラは意地を張り続け水を飲まなくなったのさ」二人は聞いた。
「じゃコアラを水溜りに、落としてしまったらどうなるの」 ディリさんは
「水ぎらいのコアラが山火事を起こしブッシュの森は、焼け野が原さ。そんなところは今では砂漠になっている」
「それって、今でもコアラが人間に、復讐しているってこと?」 ふたりは、コアラの見方を改めた。
「とげが刺さった小鳩が居ってのォ。鳥なかまたちが看病していると、傷口から光がニジのように吹き出て、鳥たちが今みるような色に染まったのさ。いじめたカラスは黒いまんまだけどね」 ディリさんは一息ついて片目をつむった。
「『蛍こいの歌』 は西海岸のブルームで、真珠とりだった岡山出身の元日本兵のおじいちゃんからよく歌ってもらったのや。「僕は半分日本人」 やっぱそうかと二人は思った。
「僕は土産物屋も、観光案内もするアボリジニさ。いつか日本に行きたいんだ」 と、握手してきた。
「お店の看板はそのとき集まった鳥たちだったのね。光の渦は小鳩の傷口から出てたのね。足跡は犯人カラスの足取りだったのね。サインと顔はディリさんだ。ここが焼鳥屋さんじゃないのはよく分かったわ。これからこの旅先で、どんな不思議に出会ってもディリさんのことは忘れない」 そんな血が通う握手はいままでしたことが無かった。
次の朝、肩に止まった鳥に「昨日ディリさんから聞いたけど、小鳩たちはどうしている」 インコは「わたしたち、人間なんて平気さ。帽子に止まって、糞をしながら餌を貰って食べるけど、過保護でも、我がままでも何でもありません。目の前の物を貪り頂いているだけなのよ。お品ぶっていたら食事にありつけません。それが元気のひけつです。考え込んだり疲れたりするのはカラスと争ったあの時だけで、たくさんよ」
インコは餌を奪いながら、鳴きわめいた。ユカが餌籠に、溢れるほどの小鳥の束を抱え、ゴリの帽子で糞をしたところが写真に写った。二人ともなぜそんなに笑顔で写ったかって? 
それはインコが二人に、こっそり教えてくれたから
「小鳩があそこの砂場で今日も踊っているわ。あの時から小鳩はカラスと反対の純白になれたんですからね。なかまのおかげで助かったあの日のことを、今も噛み締めて踊るんだわ。いつになっても鳥仲間の親切を忘れられないのよ。傷ついた小鳩をいじめてしまったカラスはあの日を忘れたいでしょうけどね」



妖術使いの父さんが三姉妹を、岩にして求婚者の魔物から隠してしまった。怒った魔物から、姿をくらますために物まね鳥になってそのまま人間に戻るのを忘れてしまった。あわてものの父さん。
岩にされて、声も出せない三姉妹のため息があたりに漂っていた。
「父さんは物まねばかりしているうちに自分が誰だったのかも、娘を岩にしたこともきれいさっぱり忘れたのかしら。北側に見える青い山にはいかにも妖術使いや魔物や仙人が住んで居そうだわ」
「ディリさんの。真珠とりのおじいさんもね」
「・・・・」
「いじめられっ子が歌ったという『ユーカリが ぐんぐん伸びる 魔法の歌』 ってやっぱりユーカリを、目一杯褒めたんだろうな。

きみユーカリは凄いやつ
いつでも伸びて
姿を変える
枝や葉の水脈あたりが
風や光でほんのちょっと変っただけで
おいらの望みがすぐ分かり
やすやすとやりとげる
きみユーカリは凄いやつ
伸びたいときにいつでも伸びて 
おいらを天まで運んでくれる

「コアラが今さら思い出せない歌はこんな歌詞だったかもしれないね」 ゴリが言った。
「・・・・」
「人の声色をまねてディジュリドウで歌って聞かせたら、コアラは少年だった頃水がどんなにおいしかったか思い出すかも知れないね」
「そんな事になったら、もうコアラじゃなくなっちゃうよ。元のいじめられっ子に戻ってしまうよ。でも、まっいいかあ」 それからゴリとユカはディリさんの言いつけを破って、気難しくて怒りっぽそうな重い塊をそっと抱いた。
コアラは言った。
「いじめられっ子って何のこと? どこにいたのかな。そんな子。コアラは眠っている今が一番冴えているのさ」 ユーカリのにおいがした。
コアラを抱いた感想は
「こうしてディリさんとの約束を破ってばかりいると、旅が終わらないうちに、自分たちにも魔法をかけられそうだ」 と、言うものだった。



シー・ワールドではヘリ・ポートからヘリが次々吐き出され、縁日のようなにぎわいだ。イルカも参加の縄とびに出かけ、ふたりも舞台に駆け上がる。海と地面と空がびゅんびゅん渦巻く。サーファーや熱気球やダイバーやヘリが輪の中へ吸い込まれる。物と物の境が綱の中で混ざり一つになり、引き裂かれて流れ落ちて飛び散る。一緒に遊んでいるつもりがいつか二人はイルカを追って水の中へ飛び込んだ。そのとき、水着からディリさんらしい声がした。
「ゴリ! ユカさん! 驚いちゃいけないよ。祖霊はいつもそばに居て、その人に一番相応しい物に少しずつ変えているのだよ」 大きな縞模様の波の影がふたりに落ちる。水の中にも、風が吹き昆布の林がゆれる。サンゴ敷きの白い一本道が光りかげる。
「浦島さんの玉手箱の煙も、実はアボリジニの祖霊から乙姫様への贈り物だったんだよ。それを使い回しして難を逃れた乙姫様はオスカー女優賞ものだね。話を戻すけど世界は同じような昔話で繋がってるってことだよ。だから竜宮城はケアンズのサンゴ礁の中にあるんだよ。楽園の思い出を汚さぬように、日本の浦島太郎さんには年取ってもらったんだよ。だって乙姫様はいつだって、子供たち全部を励まさなきゃ、いけない役割だからね。」 ディリさんの泡のような声が消えた。
すると、イルカも故郷を懐かしむように飛び跳ねる。ゴリとユカは稚魚になったように親のイルカの影を一心不乱に追っていた。ユカはイルカの水着に気づいて答えた。
「この水着を着ると産まれたばかりのヒヨコのように頭が空っぽになるのね」
「分かる、わかる。『ただ今変身中につき声を掛けないで』って感じだね」 ゴリは言った。
「イルカのジャンピングも真似してみたい! バンジィー・ジャンプでアボリジニの変身の正体が分かりそう」
ユカはふと思った。
ただ、そう思っただけなのにアボリジニの案内役は「それでは今から始めましょう。日本人は初めてですよ。」ユカは腰から下を手早く人魚のように括られた。ビルの屋上の高さまでクレーンでまっすぐ吊り上げられた。
「ユカが空を錐もみで楽しそうに手をふりながら飛ぶ。それをゴリが手を振りながら、地上でのんびり見物している」ゴリも記念写真でも取るぐらいの気軽さで思い浮かべただけなのに。
「もう遅いふたりはアボロジニの祖霊たちに、見込まれて取り囲まれた。金縛りにあったように身動きできなく固まってしまった」



舞台のアドバルーンが一時間かけて膨らんだところで、マキリの絵画の家庭教師カゼクラ先生が高さ五メートルの脚立の頂上から、舞台めがけて跳びだした。
カゼクラ先生は飛んでいる姿が観客の印象に残るよう、空中に止まって見えるようにと、ストロボの閃光めがけて跳んだ。
ピカーと光った後、大きな音がしただけで暗闇しか見えなかった。結果は大怪我で、カゼクラ先生は会場の中野公会堂から、救急病院へ直行だった。
あの追い詰められた場面と、ユカとゴリの今はそっくりだ。カゼクラ先生はストロボの閃光めがけて飛び込んだ。しかし光は1秒で地球を7まわり半の速さで逃げていく。
カゼクラ先生のもうひとつのパーフォーマンス(イヴェント)は、ジュラルミンのトランクに、先生が足ひれを付けて入って外から鍵をかける。
カゼクラ先生が中から合図したら外の人が鍵を開け。カゼクラ先生が出てきてアドバルーンの中に移る予定だった。合図が聞こえなくて、トランクの中は酸欠になって先生は死にかけた。
ユカにもゴリにも合図はいつまでも出ないし、風の音さえ消えてしまった。
あの時のカゼクラ先生には地球の回る音しか聞こえなかったそうだ。さすが神様とあだ名されていただけの事はある。しかし、すぐそばに地球の支配者人類が二人も居て、言葉というものもあったのに・・。
神様に死ぬ思いをさせてしまった人類なんてどんなに罰当たりだったろう!
このときのカゼクラ先生も、いまのユカとゴリの気持ちとおんなじだ。
風は回り背中を鞭打ち。ユカはもう跳ぶだけ。背中を支えてくれた案内役もすべてをユカにゆだねる。親切そうな慰め言葉はぜんぶ嘘っぱちです。もう自分しかありません。自分という車を運転しているし。意識してそうしてきたはずなのに。バックからくるストロボがまぶしすぎる。視界はどこもかしこも真っ白に飛んでしまって車庫入れができない。このまま日本に帰れなくなる。ユカとゴリが関係なくなる。兄弟でなくなる。落下地点の池の周りでは豆粒のような顔が興味深げに見上げていた。
「釣られた魚がジャンプすりゃ。熱い砂獏でトカゲになった。たぬきや狐の真似して、化けたとしても、行き着く先は認知症の物まね鳥。もとの姿にゃ戻れない」 ユカはうわ言を口走りながら倒れるように跳び出した。
「さっきまで吸っていた人間の息を、思い出せなくなっています。ああ。大陸の祖霊の皆様。お好きなように。おまかせします」 と祈るユカ。
「贅沢は願いません。命だけはとらないで。姉のユカを岩にしてでもいつまでも生かしてやってください」と、ゴリ。
そしてユカは気を失った。ゴリも一瞬、物まね鳥になって、イルカの事しか思い出せない。そのときディリさんの歌声がしてきた。
「イルカや人間にこだわっていると、そのうちとても恐くなる。どちらへもいつでも行けるようにしてること。どちらが得で、どちらが損でもないんだから」 体に巻いたロープが、伸びきって風の音がして再び時が動き始める。
「ゴオーッ」 ユカは無事に地上に戻っていた。二人はいつの間にかイルカ気分から人間に戻っている。ディリさんの声がかすれ飛ぶ。

冬のかなたの夏へ鳥が渡り
冬のかなたの夏へ雲が流れる
そんな大きな乗り物で
大きな旅をしているんだから
おいしい物を後までとっておく子のように
慌てずゆっくり飛びたいものだ

案内役の青年が
「かんぱーい。動物植物、祖霊、皆にかんぱい。ユカさん、ゴリだけの秘密にしておくにはもったいない。すばらしいジャンプでしたね」 ジャンプ証明書を書きながら片目をつむった。
「ユカはあのとき生まれ変わったんだ。海も風も空もわたしも、全部が溶けあって光ったんだもの。それがまた別の知らなかった大きなしずくの命に抱かれてた。それがわたしを守ってくれた。純白の小鳩みたいだけど。いつ付いたのか、おでこの掠り傷から虹の光が吹き出して西の夕空を染めていた」 
「まさしくそれが先祖の教えの全部だよ」 ディリさんが締めくくるように答えた。
ホテルのベランダのタイルをカタツムリが目に見えないほどゆっくり動いていた。
「ユカ。わたしもバンジィー・ジャンプのときの切ない気持ち、知ってます」 アンテナの触覚を伸びるだけ伸ばしている。タイルの肌触りを地球の裏側まで発信するように近づいてきた。そのスピードはジャンボ機より速いような気がふっとした。



世話役のことを本当にみんなが忘れたかけた頃もう旅は終わりに近づいていた。ユカのバンジィ・ジャンプのことは知れわたっていた。なぜかって、ユカに連られて一行の中から二人も跳んでしまったらしい。ルール違反の酔っ払い運転の人もいたらしい。気を失ったユカとしてはその人の気持ちも少しわかった。
夏のシドニー湾を風が吹き渡りかもめが船の周りを渦巻いていた。水面がいま沈もうとする夕日に照り映えていた。
この立体の精気ある風景が突然、印象派の永遠の平面に変わってしまうような気がした。それはそれで何も不自然なことではない様な気がした。
もう決して、このメンバーで出会うことのない、さよなら慰労会が始まっている。山羊足商会の世話役が
「慰労会のつもりがバンジィ・ジャンプを語る会に、なってしまったようです。でも、それはそれでよい旅ではなかったかと、胸を撫で下ろしている次第であります。良い中年おじさん二人とユカさんに
『オーストラリアのマザーグース』 ということで体験談を聞いて見ましょう」
「若返るんだよ。一度やったら癖になるね。今度来たら俺はまたやるね。かならず」 と一人が言えば
「何がおきたか、わからない。酔っ払い運転で起こした一種の事故のようでした。独身の俺にとって自殺行為だったかもしれんが、おかげで欝は吹き飛んでどこにも無いね。ここにいるのはほんとの僕か、教えて貰いたいぐらいなもんだ」 負けじともう一人が言っ放ったものだ。
ユカは強いパンチを食らったように絶句した。もう、あのパフォーマンス(イヴェント)での心配は忘れたいのに。まだこれからも、あの時のフラシュバックが続くとは:。夢の外なのに夢の中みたいな。思い出したくもない行き詰まりのようなところから言葉が沸いて出た。

二週間前に飛び立ったテントウムシは
火事に気づいてお日様めざし
めった開かぬ羽を
背伸びまでして広げ火事場の我が家へ帰るとき
みんなが豆粒となって見上げてた

テントウムシよ また会おう
ユカやゴリよ また会おう
後ろの正面 誰あれ

「確かに飛んでいたね、ぼくも。」 ゴリは自分に言って肯いた。
世話役は
「ここに誠に、的を得ない三者三様の感想そのものがナーサリー・ライム発生現場という訳であります。それに偶然立ち会えるのも何かの・・偶然の・・有意義であり。山羊足商会としても面目躍如の感があります」
と、無理やり締めくくった。それから付き添い役の黄色いシャツのおじいさんが預けていったという手紙を二人に渡してくれた。
ユカ・ゴリ様へ 付き添いの黄色シャツより
ゴールド・コーストまで二人はとてもよくできました。今じいちゃんはケアンズの娘のところへ急いでいます。ディリさんのおじいちゃんの事も調べは付いていますよ。
「日本から潜水艦でシドニー港まで攻めこんで捕まったがその快挙にオーストラリアは敬意を持って迎えた。」 とありました。第一日目の朝、シドニーの戦争記念館に行ってそのことを知りました。確かに浦島さんのような人ですね。日本人はシドニーから出発してケアンズの竜宮城を目指したがるようです。娘も確かにそうでした。気をつけて残りの旅をたのしんでください。
さよなら、また新宿の本屋さんの二階であいましょう。
追伸 
これ以上、アボリジニを真似て変身しようとしてはなりません。
命がいくらあっても。身が持ちませんからね。間違えてもバンジィ・ジャンプだけはしないでください。いくらあっても。身が持ちませんからね。      
じゃー、また日本で

世話役は手紙の中身を知っているらしく困ったように片目をつむった。船が湾を一周して振り出しに戻るとあたりは暗闇に包まれていた。

10

ディリさんはニジ蛇模様の派手な甚平さんを着て待っていた。
「近いうちおじいちゃんの故郷日本に留学します」 お土産はユーカリの樹液で作った石鹸にした。コアラのミルクとおなじ匂い、カラスにいじめられた小鳩が吐き出した、鮮やかな七色を秘めた石けん。
カゼクラ先生にも
「バンジージャンプ、とても怖かったよ」 と言って渡したら、
「方法は媒体を選ばない」 受け取りながら難しいことを云ったが
「アボリジニの祖霊は人間や動物を選ばないで変身させる」 ことを、カゼクラ先生流に言っているのだと思った。
父さんにも、みやげ話のコアラをこっそり抱いたところで、タイミングよく渡したっけ。
家ではもうとっくに使い切ってしまったイルカ印の石けん。
水着も今では小さくて着られなくなり、思い出のシャボン玉だけがいつの間にかアドバルーンのように胸の暗闇に浮かんでいた。

(2009・9・3)

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