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2010年4月14日水曜日

服喪のConte2 オルゴールの行方



12・19

戸口で
「トントンですよ」 と言って中へ入った。
「おや!マキリ君、お盆に会ってから半年振りだね。自閉症の施設から何時帰って来たのかな」 御茶ノ水のおじさんは聞いた。
「いまからです」 ぼくは何処かに、何時がいってしまわないうちに、今に間に合わせるように大急ぎで答えた。
「ところで今年いくつになったのかな」 御茶ノ水のおじさんは通り過ぎる豆腐売りを呼び止めるように聞いてきた。
「21才9ヶ月と12日です」 ぼくは答えた。
「へえー詳しいんだね。時々考えるんだけど。マキリと暮らすのって難しいなあ。その詳しすぎるところが結構、厄介そうなんだ。まずマキリと、どうやって暮らしの相談したらいいの。朝起きて顔を洗っていろいろ一緒にやって寝るまでの事、それから起きるまでの事も、筆談でやるの。漫画で約束するの。それってとっても時間が掛かってそうこうしているうちに俺なんか死んじまうよ」 おじさんはお酒を飲みながら言った。
「納涼大会はありますか」 隙を見てぽつりとぼくが聞く。
「夏になると形だけあるけど、今じゃ、担ぎ手がいなくてね。お祭りのおみこしもトラックに載せて引き回すんだよ。町会に引っ張り出されるけどボランティア気分だよ。本気で踊ろうとは思わんよ。今じゃ。」 ぼくはおじさんの答えを無視して
「踊り踊るなら、ちょいと東京音頭、よいよい」 踊りながら出窓に駆け寄ると窓枠に腰掛けて、そとへ身を乗り出して、やる気のなさそうなおじさんを振り辺った。
おじさんはぼくに体当たりして突き飛ばすと後ろからしがみつこうとした。
「ちょいと、飛び降り音頭、よいよい」 ぼくはさっと身を交わしてソファーに戻り大声で笑った。
「やーまたおじさんをからかったな。驚かさんでくれ。『まったく、マキリにあっちゃ冗談にでも死んでなんかいられん』マキリの前ではそういうことはめった口に出してはいけないね。まともに受け取って真顔になるからね。これからという青年の前や自分が生きている間はめったに口にしてはいけない言葉だね。サヴァン症候群の青年にまた一本とられた。俺を試したな。アハハ」 ぼくから手を離してぽんぽんとはたいた。
ぼくは別におじさんを驚かそうとか試そうとしたのではありません。
今年のお盆休みのときここへきてアルミ格子の出窓から覗いた時、めずらしい日照り雨がニコライ堂を横切って行ったのをもう一度見て確認しておきたかったのです。
日傘の婦人が雨の中、自分の影をそのまま飼い犬のようにつれて歩いてふっとぼくを振り仰いだ。ぼくはその知らない人に手を振った。ポプラ並木の葉裏も新築ビルのガラス窓とぼくに向けて一斉に振り返ったような気がした。
今が過去になって行く瞬間に立ち会ったみたいだった。
今日はそれがうそのように曇って灰色の単色で、枝は凍ったようにとげとげしく空を指し、人っ子、一人歩いていなかった。
気が付くとおじさんはいつの間にか一人芝居みたいになって
「晩年は俺、金を払って他人に看病してもらおうと思うんだ。ウンコまでとって面倒見てくれる人なんか居ないもんね。シェーン」 犬に当て付けがましく言ったところでした。
「娘さんの麻貴ちゃんが居るじゃない?」 誰かが応えた。
「あ、麻貴。それは忘れてた。今アンデスの天文台で宇宙人を探してる」 御茶ノ水のおじさんはお酒を忘れて、今日始めて笑った。
ぼくがここに来るたびおじさんは変な事ばかりしている。
熱帯魚の水槽に釣り糸をたれていたり、シェーンをバリカンで刈り上げていたり。おかげでシェットランド犬シェーンは間抜けなライオンみたいになった。
おじさんのやることでよく分からないところは、見ても見えない振りをしてやり過ごした。
ぼくは黙っておじさんのへんてこりんな話とか、やっている事を一旦全部飲み込んでしまう。
真正面から笑ったり質問したりないで、そっぽを向いておじさんの話の中身をだんだん忘れていくほうが、その場が長持ちするような気がする。
今日のおじさんの話も、そっぽをむいたまま聞いていたが、ぼくなりに繋げて整理すると
「屋上に鳥を放し飼いしたな。という結論になる。お話の終わりごろでぼくを驚かすつもりだな!」 と直感した。その証拠におじさんは
「そんな屋上の風景に長居しすぎたとか。その鳥! 本当は飛べなくて風に吹き飛ばされてばかりいるんだとか。これからは共同生活をして飛び方を覚えるんだとか。だが卵は星と同じで、いつでも生まれているんだとか」 と何回も言ったからです。
「間違いない! おじさんの星空では星がいくつもうまれている、丸見えの屋上では、もうコーチンを放し飼いにして卵をいくつも産ませた。共同生活では卵をいくつも産ませなくては生活が長持ちしない。自給自足、つまり産むことを中心に話を進めているのだ。その勢いは並大抵ではなかった!」 という事になる。
「コケーッ、コッコ、コッ」 お酒で頭がふらふらするおじさんの上をいつも、コーチンがバタバタ飛んで肩に泊まりに来る。
おじさんが隠し事をもっと奥に隠すように、奥さんに知らん顔で湯飲み茶碗に注いだビールを飲む姿に笑えてしまった。
ぼくには丸分かりなのに、奥さんはわざと知らん振りをしているのだろうか。おじさんは
「こりゃーだめだ。マキリはこちらの話をぜんぜん聞いていない。全部無駄ばなしになってしまった! せっかく皆の老後の事を本気で考えているのに」 と残念そうにぼくを見つめて、もう一口ぐいと飲んだ。
そして、やっぱりぼくを屋上へ連れて行った。
ぼくは、おじさんの話をこんなによく聞いて、無人の屋上が卵だけでなく鳥という命まで宿したのも見抜いていたのに。
「おじさんは自分の言いたいことだけを分からせようとするだけで、本当のぼくの事を聞いてくれない」
と思った。
屋上へ出ると居た! 居た。アヒルが三羽ガアガア鳴いて出迎えてくれた。
「コーチンのつもりがアヒルとは?」 ぼくが言うと
「あれ! あれは大失敗で、誰にも言わなかった。コーチンの事。どうして君は知っているの。コーチンは二百十日の嵐で吹き飛ばされ行方不明のままさ! その点アヒルは重くて飛べないから一番屋上向きの飼い鳥なのさ」 打ち明けながら照れくさそうに植え込みの中から大きなアヒルの卵を三つ拾い上げ
「触ってごらんよ。まだあったかいよ。老後は若かった頃の仲間同士で鶏とかアヒルを放し飼いして共同生活しながら、のんびり映画製作でもしたいもんだね。アヒルはちょっと同居するには喧しすぎるかな」 そして、そこにはいない映画のスタッフに言った。
「音響係の菊池君。なんていうかなー。同時録音のときアヒルの鳴き声がいつもしていたら邪魔で絞め殺されるかもねー」
「・・」
「それにしてもいやなことばかり続くねえ。その同居予定の平野監督は昨日、自宅で火事を出して今は集中治療室で面会謝絶だし。監督が火事を出したんじゃ。若い頃から細々続いてきた映画製作の徒党もこれで解散だ。浜松の宮口あたりをアジトにして第二次ヴァン映画科学研究所を計画してたのに。火事じゃね。
やる気なくなるよ。皆バラバラになって俺達これからどうすりゃいいの。浜松のおれの親父も、もう長いこと無い。マキリの父さんだって浜松の母さんが死にそうなんだ。博打打ちの弟、繁も二日に一回の透析で両足を何時切断されるか分からない。俺だって、転地療法とか女房にだまされてアルコール依存症の施設に閉じ込められそうだし。俺たち一体これから、どうすりゃ良いの?」 おじさんはぼくに話しかけるのをあきらめ他の誰かに聞いた。
アヒルは自分の体が重すぎるのか、人間に興味を失ったのか立ち止まって目を瞑って眠った振りをしている。
「産みたての卵を、三つも盗まれたのに平気で眠ってしまうなんて、なんてのんきな性格だろう」 屋上から4階のおじさんのベッドルーム兼応接間に戻るとテレビには、星が生まれるところや消えるところが写っていた。
このビデオを見て、おじさんが屋上で鳥を育てたりキュウリを植えたりする気になったのがすっきり分かった。
それと麻貴ちゃんが、アンデスで円盤や宇宙人が見つかったかも気になっていたのだ。やはり親子だ。
横にはエメラルド・ブルーに照明された水槽があった。
吹き上がる泡粒に押された熱帯魚の橙色のコリドラスは、おじさんが屋上に行くたびに増えていった。

12・20  

ぼくは花川戸に着くと、ベッドから顔を挙げお年玉の袋を差し出したババに
「ただいま」 そっけなく言って、押入れ金庫のオルゴールへ直行した。
夏休みからわざと置き忘れておいた、お年玉より大事な宝物が待っている。
作り方は簡単ではない。まず世界大百科事典のページをぱらぱらと嗅ぐように見ながら、ドッグ・イヤーに舌を当てて濡らす。それを天日に干して、カリカリにかわかす。
乾くまでの休み時間に、洋バサミと、大中小のお皿、鉛筆を使って色紙をドーナツ型にくりぬく。
使用ずみのてんぷら油に、大中小に切り分けた色紙を、草木染めをするように箸を使って何度も丁寧に浸す。
百科事典のページごとに大中小のドーナツ型色紙を漬物のようにはさみこむ。
チキンとか茄子とか鯵のエキスがドーナツ型色紙に良くなじんだところで、百科事典から取り出してもう一度日に干す。(今度は休み時間はなし。もんじゃ焼きやカルメ焼きのように急に出来上がるので目が離せない。ドーナツ型の色紙の仕上げは干し芋ぐらいの乾き方がちょうど良い。
色彩の温度は、日向から日陰に移ったように下がり、華やかさが何処かへ飛んでしまう。
それをオルゴールの闇に密閉してしまえば出来上がりだった。
ぼくはオルゴールの暗闇に近づくとどきどきした。
振える手でドーナツ型の色紙を光の中に取り出し、形が崩れていないので安心した。
葉巻のように匂いを嗅いでみた。半年前作ったときと同じ桜海老のかき揚げの匂いがそのままだ。
格子戸から覗くように、五本指をかざしその隙間からも覗いて見た。ドーナツ型の色紙は指と指の隙間で、四等分されていた。
それが風を受けた鯉のぼりのように、下に向けて身体をくねらせたようだ。
手を揺すると、四匹の鯉のぼりはゆらゆらと目の前を泳ぎ始めた。手のひらの左右の波動は風のある空をかきまぜて、鯉の目が金色に光った。
鯉の口からも、金箔の泡が立ち、光って指の間をすり抜け空へ上っていく。
ぼくは、太陽に向けて、手のひらだけをかざして激しく揺すってみた。
手のひらが向いたところにあるものは一度くだけ散り。
見えなくなった後、おびただしい数の光波となって網膜を襲ってきた。
その勢いは歳月を掛けて育った根っことか、蔓のように、しぶとくぼくの目を覆っていった。
そして蛸のように目の裏側から全身に吸い付くと、ぼくを内側から食べていった。食べられながら快く痛かった。
立とうと思わなくても蛸足のような根っこと蔓に支えられて立たされている。
「ぼくは牛の胃の中で溶けていく草と同じだ! 第一の胃から第二の胃へ溶けながら旅させてもらっている」 
ぼくという草は輪郭が見えないという不便さはもう無くなっていて、空や太陽のような大きな物に向けて頷き溶け込む運命のように伸びている。
大事なのは目がなくても数世紀先が見えている実感。無いものが見えると言ったらいいのだろうか。
マッチをする音が体の中でしたかと思うと、ミラーボールが三つ、頭の上で回りはじめた。
お互い照らしあっているのだが、中心が太陽のような、見つめることができない空洞だ。
ぼくが作ったドーナツ型の色紙がオルゴールから飛び出して、ミラーボールになって回り始めた。
オルゴールの音がしてきた。くらくら目眩がするほどあたりが輝いていた。太陽の印象が黒い斑点となってあちらこちらに残ってしまった。

気が付くと薄暮の底なしの空だった。うっかりしていると動物や人が吸い込まれてしまいそうだ。
それを突き刺す勢いで避雷針がデパートの屋上で起立していたが、どうしても届かない。吸い取り紙のような深い天だ。
アパートの一室から、毎日のコーランの祈りが聞こえてきた。背広姿のアラブ青年が今日も尋ねてきた。
しばらく中年の太ったおじさんの嬉しそうな声がしたが、すぐコーランの合唱になった。六畳に10人はいるだろう。
それが幾日か続くと、塔を備えたモスクが、ぼくの夜の夢に湧き出るようになった。
でも昼間、上野まで散歩をしてもその塔にはたどり着かない。
明け方ぼくの夢へお隣のコーランの合唱が忍び込んで、テレビとぼくが合作したモスクが出来上がって見えるまでに成長していたらしい。
弁天山の鐘が朝六時を告げるとカラスだけでなくスズメ、時にはオナガが大げさに鳴きながら庭を覗く。
アパートの屋根を、野良猫親子が伸びをしながら横切り。その猫に庭から犬が吠えかかり。
バイクの音がして新聞が来るころ、決まって、遠くからかすかな豆腐屋のラッパの音がしてくる。
きょうはそれを乱暴に打ち消すように救急車の音までしている。
今日も隅田公園で凍死者でも出たのだろうか。
不吉な合図でいつも浅草寺界隈は、お祭り騒ぎへ巻き込まれて行く。
ぼくはみんながまだ寝ているうちに起きだして、庭に出してある白いテーブルの冷え切った椅子に座った。
「この家も、引越しの後なくなるのかー」 誰にも気付かれないように、すばやくここが火事になるのを想像した。目に映ったままをはっきり目の裏に定着し、すぐに消してしまうのだ。そう無声映画のコマ落としのように。
夏の丸テーブル下にあった、蚊取り線香の煙が、記憶を大きく巻き挙げ、冬の焚き火の大きさになり、ドンド焼きになり、とうとう平野さん家の火事になり、平野さんが二階の窓からネガフィルムの丸いブリキ缶を投げ出しはじめ。コマ落としは早い。ぼくの家に飛び火して煙に包まれて燃え始めた。テレビの戦争ニュ―スも手伝って想像力が勢い付いてきた。
消防自動車が路地裏に入れないで、松屋を取り囲むように集まってきた。ヘリコプターも左旋回して10数機も来ている。
家族全員で二階のベッドのババを担ぎ下ろした。
そのときババの白髪がパッ、パ、パ、バクダット上空のように光った。
父と母は部屋に戻るとテレビ、たんす、ホース、縄、フィルム、映写機をリレーしていたが間に合わなくなって平野さんの真似をして、窓から投げ出し始めた。
そのうち家中に火が回り、一人で立っているのさえ難しくなって、二階の窓から母の跡を追って父が火達磨になって飛び降りた。
弟のゴリも妹のユカもまだ寝ているはずなのに。
一度も姿を見なかったのは、想像しなかったぼくが悪かったのか、まだ眠っていた二人がうっかりしていたのか良く分からない。
消防士が行方不明者を探して、小型のゴジラのように家を上下左右めった切りにしていた。
火が収まってからも、出動したからには、入口から出口まで伽藍洞にしてやるぞという勢いで壊した。
瓦礫が積みあがり消防士がその中へうずもれて見えなくなった。ぼくだけが何事もなく丸テーブルの前で助かってしまった。
オルゴールを抱きしめて「ぼー」 としていると、一緒に燃えたはずの東側の手すり越しにアパートの寅さんが、ひょっこり顔を出して
「マキリ。おはよう。コーヒー飲もうか」 知らん振りをして言った。
「一人に気付かれてしまった」 ぼくの目線が、物干し竿のハードルに引っ掛かって、寅さんに伝わっていかない。
だから寅さんも、ぼくに何か誤魔化されたと思っただろう。
40才の年の差は一瞬なくなって、寅さんは物干し竿に咲いた塩の花のように浮かび上がったが、凄い勢いで錆びて皺だらけになって消えてしまった。
その隙間に生暖かい朝風が吹き込んできた。
焼け跡の灰が平野さん家の方からまっすぐ飛んできて
「つーん」 と臭った。
御茶ノ水のおじさんが言っていた徒党が、穴倉で火事を囲んで酒を飲み、海賊のように自分勝手に手に入れた、スリルある獲物の自慢話をしていた。
ぼくの想像が終わって気付くと、父と母は寅さんが淹れたコーヒーを、何事も無かったように飲んでいた。
「私、寮の管理人になって就職したでしょ。だから生活保護は打ち切りになってしまったのよ。でもマキリの冬休みの期間にあわせて、休暇を取ったの」 寅さんは寮に管理人室があるのに、理由をつけては毎週花川戸のアパートに帰ってくるらしい。
これは引きこもりの始まりではないだろうか。
ぼくが御殿場へ帰った後、職場へは復帰出来ないのではないか、と思った。みんなは火事を見ていたかのように、立ち退きの後の生き方を探る虚ろな目をしていた。
唯一、たしかなのは、吸い取り紙のような青空だ。
家とアパートの境を見ると地境の木杭が打ってあった。最近測量が入ったらしい。10年前は隣の旅館と家の間は
「泥棒通り」 と言う路地裏になっていたそうだ。
借主が代わるたびにその路地が消えていき。
誰のものでもない「石蹴り遊び」のときのような飛び地となってしまったらしい。
公図を見ても番地すらない部分がある。そこは猫の寄り会い所にもなっていて、マタタビでも吸ったらしい、五、六匹が毎日ごろごろ寝そべって、日向ぼっこで無く日影ゴッコをしている。
不良で不健康なマルチチュート猫の情報交換のたまり場らしい。浅草小学校は13─4、松屋は3、ぼくの家は15─1。ぼくは今居る家をマーカーで塗りつぶした。
やはり北側の旅館との間に80センチの路地が、塗り残って江戸時代から受け継いでいる白い猫の額が浮かびあがってきた。
これが町会地図になると、空白などひとつも無くこれでもかと塗り重なって、お店の宣伝がにぎやかに入って、東武線が鉄橋を渡る音や、三社祭の物悲しい子守唄のような笛の音や、羽子板市、三本締めの威勢の良い掛け声さえ聞こえそうだ。
靴屋さんの名前やお菓子屋さん、関根精肉、原草履、花川戸旅館、藤井漆喰。
ここに住んでいる頑固で多趣味な人々をすぐ思い出せる。
だから町会地図では80センチの猫の額では立小便、寝泊り禁止、焚き火などや、たばこのポイ捨ても厳禁だ。
知らないで、その「泥棒通り」 にうっかり入ってしまった闖入者も、じぶんが仕掛けたわなに落ちたような気がするだろう。
暖簾の向こう、路地裏の植木の裏側、お花の先生の教室や旅館から、いくつもの目が覗いている。
うっかりそこで立小便をしようとしたおじさんは美容師さんから熱湯をかけられた。
どんな泥棒の名人でも、すぐ御用になってしまったそうだ。
旅館の小学生の玉ちゃんが地面に石墨をぬって石蹴りをしている。その丸の数も、ぼくが星野商店にドクターペッパーを買いに行って買い物袋を何回電信柱にぶつけたのかも、町会には手にとるように見えているらしい。
それがテレビのデジタル、モニターに映って見えているわけでなく、脳内アナログのひだひだの路地裏でひた隠しされているものが露見しているのだから神秘だ。
さっきの火事の想像の中身も実のところ寅さん以外、町会にも見られてしまったかもしれない。
誰かの想像力が外に溢れ出すなんて、自分が見る夢を、他人も見ているみたいなものだ。

夜、押入れで眠っていると、今年の夏休みのことがコマ切れのように浮かび上がってきた。
毎朝涼しいうちに母と隅田公園に散歩に行った。
待乳山聖天の向かいに、使われていない電柱が立っていた。
その電柱にいつからか葛の蔓が巻きついて緑色に包まれて空に突き出していた。
「もうじき花が咲くね」 と母は楽しみにしていたが、次の朝は根元が切断されて枯れていた。
葉のミーラが落ち重なって、やせ細った蔓の隙間からコンクリートの柱がむき出しになった。
誰が何のためにこんな事をしたのか分からない。
真一文字の切り口は鮮やかだ。
ホームレスが恐る恐るいたずらしたのでなく、斧などを使って一気に処分した切り口だ。公園管理者が会議の結果、決断し。切断したのだ。
「100メートルほど吾妻橋よりに本物のくず棚があるので、そちらを堪能して下さい。都は、こちらの葛は雑草とみとめ、ほんものの景観を、損なうものである」 と英断したらしい。
それはそれで、公園中の電気がこの電柱を逆流して地下へ枝分かれして、公園全体の電灯にいきわたっている。
公園を見渡しても電線が無いことを来園者に、気付いて感心してもらえるかもしれない。と期待も込めたのだろうか。
青かった葉っぱは触手を天に向けて思い切り伸ばしたカタツムリの目を切ったようでかわいそうだ。
取り残された根っこは今からも芽を出そうとするだろう。
ぼくは息を詰めて枯れ葉をまたいだ。
「切っちゃったのね。もうすぐ花が咲きそうだったのに」 母が言った。
家に帰って、鉢の植木に水をやり水槽に餌を投げ込んだ。ドジョウが水槽の底からボウフラのように水面に浮かんできた。
でも見慣れた金魚が見当たらない。
遊び道具のつもりで入れてやったビーカーに緑色のミズゴケが生え、白い繭のようなものが中に浮かんでいる。
取り出してみると、金魚は死んでから数日たったらしくカビが身体を白く覆っていた。
ぼくはそれをぶどう鉢の根っこに埋めた。ぼくは、うっかりしていた。金魚はバック泳ぎが出来ないのだろうか。
ビーカーのガラス面が透明で自分が袋小路に嵌ったことに気付かず前進を続けてしまったのだ。
ひょっとするとハエがガラス戸に何度もぶつかって行くようにビーカーの底に体当たりして力尽きたのかもしれない。
犬のコロが死んだときも塀の穴から隣のアパートとの隙間に嵌まってしまいバック出来ずに前進し二階からアスファルトに飛び降りて頭の骨をおって自殺みたいに死んでしまった。
ドジョウとぼくはこんなに近くで見詰め合っているのに、ぼくが魚に近寄ってきてほしい時にも、目障りのときにも水槽をそっと叩いてみるだけだ。
ドジョウのほうでも、水温が上がりすぎたときや酸欠で呼吸困難のときなどあるだろう。
でも今のところ水槽の中から手紙のようなアワブクも無い。お互い餌を介して細々みつめあって生きている。
上手に住み分けているつもりだったが。ぼくのうっかりが、金魚を死なせてしまったと思うと悲しくなった。
ガラス面を横に走る水面とその下の汗をかいたような湿ったところがドジョウと人間の境目のような気がした。
空中ではなんでもないビーカーでも水面の境界をめくって挿入すると、予想もしない金魚への拷問道具へと化けてしうわけだ。
御茶ノ水のおじさんの家もぼくの家も今、空気のビーカーの中だ。
一回別れてみないと本当に会うときの喜びがわからない、と言う歌もあるが、そんな実験をしている暇は無い。
中でユーターンできるほど大きなビーカーが必要だ。
池袋の水族館は大掛かりで可能性が高い。
ビルの30階に海が引っ越してきていた。海水は、エレベーターで来たのだろうか。
サメが人間を無視して頭上を旋回していた。
マグロの群れは感電しているように突進して来るが群れが大きな円を描いて水槽にぶつかるようなのは居ない。
動物園の人気者のように愛嬌を振りまいている魚など一匹もいない。
サメの群れに、人間が足でも滑らせて落ちてしまったら、金魚のお返しに、サメは濃厚なあいさつを送ってくるだろう。
でもその広い水槽からなら、時間と鮫と感電物体のマグロだけやり過ごせばユーターンして復活して帰って来られるような気がした。
金魚にはひどい拷問をしたものだ。押入れの中でぼくは眠くなるのをこらえていた。

12・21  

マキリへ
前略。
君の父さんはついに切れてしまって
「家族解散」 とか言って電話をよこしました。
そのすぐあと、御茶ノ水のおじさんは自分で車に乗った迄は覚えていますが、楽しい家族温泉旅行のつもりが、だんだんおかしくなったのです。
娘の麻貴と妻の容子が理由をつけて帰ってしまうと突然海の見える横須賀の療養施設に、シェーンと一緒に入れられてしまい鍵をかけられてしまいました。
どういう薬を配合されたのか。さっきまで自分が誰なのかも分かりませんでした。
夜は施設ごと空を飛ぶし、飛んでいるはずの施設の非常口から君の父さんや母さんや平野さんなどの50人ぐらいの友人が訪ねて来て朝までかくれんぼで部屋の隙間に隠れているのです。
そして鬼のぼくには誰も一言も声をかけず、黙って自分が隠れる穴掘りのような仕事をし続けるのです。
明け方になってやっと自分が誰なのかここが海のそばだと少し分かりました。
足元で可愛がっているシェーンが胆汁をたくさん吐いて死んでいました。それでわれに返ったのでしょうね。
この気持ち自閉症のマキリになら分かってもらえると思って花川戸宛に手紙を書いています。
施設ではぼくの頭の体積や、口に入る水の量や、髪の毛の波の形を採集されました。ぼくはてっきり閉じ込められたと思いましたが、
よく見るとこの施設は鍵がありません。
出入り口に大きな鏡があって、逃げ出そうとする患者の自分を、看守の自分が監視する仕掛けになっているのが分かりました。
かといって開けっ放しでもないのです。緩やかなゴムの肌のような鍵がぼくの精神にかかっているようです。
それは麻薬かもしれません。LSD療法を施された可能性だってあるのです。
夕べもちょっと施設ごと空を飛んで、御茶ノ水に帰ってみました。ポプラは葉を落とし、そっけない姿を街路灯が寒そうに照らしていました。
明け方、施設に戻ってみると、窓に裏山が崩れ込んできていて、ガラスは割れ、床が水浸しになっている。タオルを何枚もかけてみるのだが拭い去るには間に合わない土砂の量になっているのです。
「看護師は有り余るほどいて、居ながらにして、片付けさせる命令も出来る。とっても自由だが、それをするには監視する自分を超えるような固い意思が必要なのです」 出口無しの堂々巡りの様をマキリに知らせたくて手紙を書いているのです。
一瞬時間が止まったので
「せいのお!」 とばかりに逃げだしてしまったような肉体の現在。担ぎ持って過去に戻っても回復しない現在。
おじさんは今レコードの逆回転が終わって、出発点に戻るのを待っているところなのです。未来にある過去に向かっているのが実感です。
施設の小遣いさんや先生に告白してしまえばそれなりの病名がつき終わりだが、その前に君にどうしても知らせておきたかった。
おじさんは力ずくでも早くレコードを逆回転して、LPの針を落したときの始まりに帰りたい。
そうしないと懐かしい共同生活の夢は何時までも持たないと思う。本当に自分とシェーンに申し訳ないことをしてしまった。
「針を落としたところまで戻ればシェーンだって生き返るかもしれない」 とあり得ないことも考えて泣いているのです。
床が土砂に埋まってしまった施設から覗くと、アルコール依存症治療所という看板がある。
その向こうは海。水平線があるべきところが、細長い岬と重なってしまって水平線が病んでいる。
おじさんは校庭の小遣いさんから見つからないようにシェーンの死骸を見ないように山のほうに眼を背けた。
「シェーンは今夜にでも御茶ノ水まで担いで行って弔ってこよう」 すると裏門のウバメガシに、鳥が止まった。
ポプラの青々とした小枝を羽の変わりに背負って身を隠したつもりで止まっているのが見えた。ちょっとはたくと、飛べないのか腹を上にして折り紙みたいに倒れた。
「なんて弱い鳥だろう、飛ぶつもりがあるのだろうか」 擬態の羽をつまんで、ポプラの枝の様子をみんなに見せびらかしてから、空に放り上げるのだが、足元に落ちてしまう。
「飛べないのだ。ポプラの擬態に力を入れすぎて、装飾過多で、飛べなくなるまで進化してしまった」 鳥は人の言葉で言った。
風に乗ったときだけ、吹き飛ばされる勢いで、やっと空を飛ぶように見えるらしい。
おじさんが木に登って、鳥を高いところに止まらせると、突風が吹いて、大木の後ろに吹き飛ばされた。
しばらくすると、川の向こう側の崖っ淵の柵に止まって、助かったらしい。
おじさんはこのアヒルとコーチンの合いの子のような鳥の事についてもマキリにだけは知らせておきたかったのです。
その夜おじさんは誰にも気付かれず御茶ノ水ビル屋上のガチョウの丘に大きく深い墓を掘ってシェーンを無事密葬しましたので、泣いたり心配たりしないでください。     
隔離病棟にて御茶ノ水のおじさんより

ぼくはそのシェーンが死んだ知らせの手紙を誰にも見せないで、オルゴールにしまった。
「死んだのも本当か嘘かもわからないような幻覚ばかりの手紙を、なぜ御茶ノ水のおじさんが一所懸命書いたのか分からない。ぼくから返事ももらえそうもない手紙を」 そのことも、仕舞っておくひとつの理由だった。
この前おじさんが
「俺達これから、どうすりゃいいの」 と父と母に言ったのを思い出した。そのとき三人ともどうすりゃいいのか答えなかった。
「成るように、なっていくしか、ないじゃないか」 とぼくは思っていた。
ぼくだって、こうしようああしようと思って、そうなったことは一度もない。ああなりそうだこうなりそうだと思って、年を取るのと訳が違うような気がします。
さっきから気がついていたシェーンの死んだ事を、言葉では
「今、気が付いた」 とおどけて云うのです。
言葉は永遠に実際いま起きていることに追いつけません。あるいは追い越してしまいます。
日記に、今しています。しようと思います。と書けないで、いつでも、しました。となってしまうのに似ています。
ぼくにはそこまで分かったのに御茶ノ水のおじさんの手紙には差出人の住所がありません。
あったとしてもぼくがおじさんに手紙を書かないことを、おじさんがあらかじめ知っているとしか思えません。
ではおじさんはなぜ手紙を書いたのか。
出口無しの堂々巡りが始まりました。手紙は四角い紙に、手で書いたインクの紙魚です。
普通の人は返事を書いたあと貰った手紙は、大事に仕舞い込んで忘れてしまいますが、ぼくには返事を書くところが欠落しています。しかしオルゴールの中の宝物と同じ扱いはできるのです。
ぼくが死んで温暖化しても、それは熱湯の海をどこまでも浮かんでいくでしょう。

12.22  

「皆で一度にダーと出てしまえばマキリも釣られて出てくるよ!」 新潟から帰っている弟のゴリが言った。
今日は家族で動物園にいくことになっているらしい。
寝ているババは留守番だけど。ぼくは動物園で象の前もパンダもライオンも素通りした。西郷さんの銅像ばかり気になった。ポテトチップスをゆっくり食べる行きつけのレストランの特等席があるからだ。座席は掘り炬燵式になっていて、靴を脱いでくつろげるし、お客さんは大体テラスで銅像を見ながら話すので店の中はいつも空っぽだ。
店員に顔を覚えられたのか、少々騒いでも許してくれる。白状すると幼い頃から動物は苦手だった。
小犬のコロを抱かされた時も、胸からそっと足下に置くと駆け出して逃げた。犬でこうだから、猫を胸の中へ入れて駆け引きしながら抱いている事などとうてい出来ない。
目が合っただけで電流が走り、ぼくも猫も悲鳴を上げて逃げ出してしまう。
だからこれまで動物園では猫科の動物とはある距離を保つことにして、間に鉄棒が何本立ちはだかっていても、お互いにゆずれる目に見えないボーダーラインを足早にやり過ごして歩く。
今日も檻に近づき過ぎないようにした。
でも犀の牧場ではしばらく立ち止まってしまった。
犀は浮世絵に良く見かけるグラデーションの夕空を背に、重心が低い巨大な牛という風体で堂々とこちらを向いていた。
角には人を寄せつけない何かがあったが鉄の檻に入れるほどの怖さはない。
不忍池を草原のつもりで見渡す姿には、草いきれさえ漂っていた。
「眼の中の不忍池が、ふるさとのサバンナのブッシュと同じように見えていますように」 ぼくは息を止めて、俯きかげんな犀の小粒な目を、手で掬い上げてやりたくなった。
飼育係がバケツを叩く音に反応して、突然くるっと大きなお尻をこちらに向けて、ゆさゆさ餌場へ走って行った。ゴリが
「犀って犬よりかわいいね。このアフリカのうぶさが癖になりそう。もう一度出てこないかなー」 ぼくは同意する代わりに、犀のすなおさを真似て、隙を見て狙っていたゴリのむっちりしたお腹に抱きついて
「アハハ」 と笑った。「さあ西郷どんの所へ行こうか」 弟のゴリが言った。
夕方寅さんが、淹れたてのコーヒーと米沢牛と根菜類のザルを抱えて勝手口から入ってきた。ぼくは甚平さんをなびかせて
「東京音頭」 のテープを、首を振りながら聞いていた。
手足が動き立ち上がり、気が付くと踊っていた。 
「もう、あと一日だけになったわね」 寅さんの声がした。
茶碗やコップが鳴る音で台所が騒がしくなった。
「五日間の冬休みなんて、あっという間だったわ」 テレビのそばの、ぼく中心のどんより暗い声色を、台所のきらきら輝く音色が包み込んできた。
「前から聞いてみたかったんだけど、マキリと言う名前、誰がどうして付けたの?」 また寅さんのしゃがれた声。
「城之内さんと足立さんが付けてくれたのよ!」 妹のユカの甲高い響く声。
城之内さんが交通事故で亡くなってもう七年になる。
四十九日のとき御茶ノ水のおじさんや父さんの仲間が二ノ宮海岸に集まって、事故のとき履いていたブーツと着ていた血が付いた下着を焼いて、その灰を海に流すお別れ会をした。
海岸で大人がみんな大声を出してモヤイ像のように泣いた。
そのときぼくが
「一月十三日。金。よ。お。び」 と、叫んだ。
別れの悲しみで凍り付いて止まってしまった夕日が、ぼくの秒読みでモヤイ像の頭の上で燃え始め。
「あのマキリの合図で、時が『ゴー』 と、再生して動き始めた」
と金井おじさんは、そのときの感想を言い。
一年たったころ城之内さんを追悼して歌・句・詩シネマ
「時が乱吹く」 という金井おじさんの映画が生まれた。
ぼくがまだ花川戸に住んでいる頃だった。
それから御茶ノ水のおじさんが言っていた、若い頃の仲間、映画製作の徒党、共同生活候補者たち(ヴァン映画科学研究所)の手によって
劇映画「出張」と記録映画「魂の風景―大野一雄の世界」 がたて続けに出来上がった。
「出張」 は中野武蔵野ホールで公開された。
「城之内さんの自主製作映画が浅草木馬亭の追悼上映会を皮切りに、下北沢、京都、ニューヨーク等でも公開された」 と父は言っていた。
その城之内さんが三〇年前、新宿の花園神社そばのゴールデン街で「マキリ」 と言う呼び名を見つけてくれたのだ。
それを「真切」 という漢字にしたのが誰だったか、何度も聞いていたがもう思い出せない。
「そういう訳で、マキリはアイヌの女性が身に着けた護身用の短刀のことなの!」 ぼくの秘密に詳しいユカの声がまたした。
あとは、まな板をたたく包丁の音だけになった。
なべの準備が終わり、年に三日だけ新潟と松本から帰ってくるゴリとユカが、真ん中をあけて座って全員が
「さあて、始めよか!」 と言うのに合わせて、ぼくは少し違うんじゃないかと思った。
雨のしょぼ降る夜に、ぼくの旅立ちをこんなふうに祝うなんて! 
「こんなふうに祝われるままに、良い子のふりをしているなんて! ぼくには出来ない。時に流されるまま最後の豪華な晩御飯を食べながら、家も家族もなくなるなんて!」
「マキリ! 泣いていい?」 ぼくは大声で聞いた。五人はうろたえた。
「いいよ! でもなんで! 今なの?」 ゴリとユカが、困たように聞き返したが、ぼくは脇にあった座布団に顔をうずめ、シェーンも思い出して本当に泣き始めた。
「あらっ。マキリは、泣かない子だ、とばかり思っていたのに」 寅さんが驚いて言った。
外では雨だれの音がアフリカの太鼓のように、水と風次第というランダムでありながら規則もありそうな波のようなリズムを続けていた。
入ってくるその音を、父が勝手口のドアの外に締め出した。
それでぼくの泣き声が、生け捕りされたように部屋中に大きく響いた。
「そのうち、米沢牛のいい匂いにつられて食べにくるかもしれないわ」 皆は席の真ん中を一杯空けてぼくを待った。ぼくは嘘のような家族団らんに、ますます食べたくなくなった。
「もう一度泣いていい?」
「今日はもう一日が全部終わったことにしよう」 押入れの上段に陣取って、日めくりの今日の日付を、思い切ってめくって、口に入れてぐちゃぐちゃに噛んだ。その塊を天井に投げつけ、明日の日づけの前で声を出さずゆっくり泣いた。
「これがお別れ会だってことに気が付いて、胸がいっぱいで、夕食が出来なくなったようだわ」 母は寅さんにすまなさそうにつぶやいた。
そのとき「ピー」 と終電が、大川の鉄橋を渡って終点の東武浅草駅に入って来た。
「もうこんな時間なの。私って、気付かぬうちにマキリさんに嫌われるような事しているのかしら」

12・23 

台所の暗闇に、ぼくの背丈より大きな冷蔵庫があった。父は
「こんなに大きな冷蔵庫が本当に役立っていたことがあったのか信じられない」
というように冷蔵庫の抜け殻のように座っていた。
それは横浜のおばさんに頼んで買ってもらったのだが、アメリカのGE社製のやたらと電気ばかり食ってしまう代物だった。
今ではババの部屋にある一回り小さい冷蔵庫で全部間に合ってしまうので、GEは粗大ごみとして出してしまった。
父は座禅みたいな形で座っているが、ハルシオンを飲みながらの修行なんて聞いたことが無い。
父も僕とおなじ内容の手紙を御茶ノ水のおじさんから貰ったのだろうか。
背中の白壁にはぼくが小学生の頃クレヨンで書いた落書きのうえに、禁煙とか禁酒とか、禁の付く字が一面に張ってあり。
「酒を飲んでトイレに小便を散らかして申し訳ありません。これからは二度としません。今回だけ許してください」 など父の字で、母宛謝罪文が賞状のようにたくさん張り出してあった。
ぼくは瞑っている父の瞼を、親指と人差し指で開き目玉を剥き出しにしてみた。
黒目が在ったところは白内障の金目鯛のような、何も写さない虚ろな鏡が光っていた。
その目は引越し先も探さず、花川戸に拘って、何処にも行き場が見つからない。あるいは居場所がなくなっている黒目といったほうが良いのかもしれない。
隣の寅さんでさえ、ババの僅かな纏まったお金に、吸い付いてきているのに、父はそうならない。
寅さんは生活保護を取り消されたまま、ババのオムツ替えを口実に、家に入り浸っているといったほうが正しい。
おばあちゃんの下の取替えのたびに母と組んで、父を攻撃して謝罪文を書かせている。
父は堪忍袋の緒が切れたときに、寅さんに怒鳴って言った。ぼくにはいまだにその意味が分からない。
いつか分かる時が来るのだろうか。
「なんと言われようと、寅さんと違って俺は立派に住民税払っているんだ」 と言ったついでに
「『男女(おめ)えさん』 歌沢の師匠さんだと思っていたが、女の弟子がたくさん出入りしている。端唄が上手というでも無いのに女の弟子ばかり来る。ことに囲い者や後家さんたちがわざわざ遠方から来るというのを聞いて、変に思って、もしやと疑っていたら案の通りでした。つまり色と慾の二筋道で女が女を蕩して金を搾り取る。これだから油断がなりませんよ。」(半七老人の話) 追い詰められたネズミの父が、猫の寅さんを御用にかけたらしいのだが!
もちろん、ぼくはテレビアニメ「小さなバイキング・ビッケ」 なら繰り返し見るが、半七捕物帳など聞いたこともない。
第一、本になっているらしいので、ぼくの場合読むというよりドッグ・イヤーを舐めたくなってしまう性格なのだ。
父が言った内容も理解できない。その場の雰囲気だけ言うと、寅さんは一瞬何を言われたのか、口をぽかんと開けてだまって何かを誤魔化したような顔をして帰って行った。
寅さんは「わあー」 と顔を隠したいほどの深い恥ずかしさと恨みとして記憶に残してしまったらしい。
そういうことだったらぼくにもある。子供の頃真っ裸で吉原のお店に入ったことなどだ。
寅さんは職場復帰もせず生活保護を申し出ないのもその父の噛み傷に理由がありそうだ。
寅さんは最近奥さんをなくした犬仲間の猟犬のおじさんと、父を比べ、父を馬鹿呼ばわりして調理人のおじさんをほめる。
母も巻き込んでそんなことばかりやっている。
父は猟犬のおじさんが鉄砲で撃ってきた鴨をおいしそうに食べていたが、お芝居のつもりでふざけているのだろうか。何が起きているか、うすうす感づいているのだろうか。
引越し先に父を連れて行かない計画が進んでいるのに。
相談が父を抜いた三人で進んでいるのだったら、父は事件に巻き込まれるかも知れない。四対一では勝ち目が無い。
猟犬のおじさんが調理責任者、寅さんが接客責任者、母が出資者という役回りになっているらしいし。母は遺産の取り分を巡って早くも父を家庭裁判所に訴えている。
ユカも、引っ越し先予定地を、見学にも行かない父を見かねて
「おかあさん。猟犬のおじさんと再婚したら」 などと、父の前でわざと云っているような気もする。
父の居場所といったらまるでムーミントロールのモランみたいなものだ。
モランが座ったところは春が来るまでは凍ってしまう。
父の座っている冷蔵庫があった窪みはいつも凍ってばかりいた。
ユカは農学部出なのでついでに調理師免許をもらっているはずだ。母の出す店で精一杯働くつもりなのだろうか。
父は家庭裁判所に呼び出されてもお金の事では母と喧嘩しないだろう。
ぼくが20才になって御殿場に入所するまで45日間の記録を、きっと調停員に提出して、母の申し立てを軽くかわしてしまうに違いない。父は撤退とか脱出とか離婚とか何かしたいことがあるはずだ。
「父が母とだらだらと遺産の取り分で争っていたら、店を出す気になってしまった三人に何をされるか分からない。簀巻きにして隅田川に流されるかもしれない」 父は争いを避けるに決まっている。
春が来る前に故郷の浜松に帰ってしまう。浜松に帰るのが本当の目的なのだ。
やったことも無い飲食店で苦労したくないのだ。
相続税対策を考えに入れていなかった母は来年、法外な税金を納めるだろう。
不動産屋のおだてに乗って調理人の実力以上に大きな構えのお店を買うに違いない。
そして職人特別手当を出し。寅さんにも接客手当てを上乗せして給料を払い。店は始まるが、すぐに調理人から
「給料を上げなけりゃ、いつ出て行ってもいいのだぜ」 と脅されて、金を巻き上げられ。
職人はある日ぷいと店を出たまま姿をくらまして、懐かしい浅草などに舞い戻って住み込みの職人になるに違いない。
職人が居なくなって客も減り損ばかり膨らんでいく店を売って、小さなカレーライス屋を開くころにはババはもう死んでもう居ないだろう。
「大きな店でいい時死んでくれて有難かった。ババに惨めな心配をかけないですんだ!」 葬式に駆けつけた息子を、新潟まで追い返した後(それほど店の中が揉めているからなのだろう)締め切った戸口の奥で、わずかに残ったお金を囲んで、寅さんと向かいあって座り嘘っぽい涙で泣くだろう。
ユカは母の元を去り新宿で就職し。
働くのが苦手な寅さんと母が営むカレー屋さんも客も無く休みがちになり、ずっと休んでしまった挙句に、そこも売ってしまい。
今度は住むだけの六畳、三畳のバラックなどを買って、二人で住み始めるが寅さんは、相変わらず働かず。
生活保護を受けようともせず、母がアルバイトで稼いで来るアルバイトの給料に頼って生き抜くだろう。
これを水族館の魚の世界では
「蛸に吸い付かれた巾着鯛」 というのだそうだ。
ぼくは、その原発のそばの火葬場近く、山の中腹の掘っ立て小屋に毎年夏と冬になると帰省することになるだろう。
ぼくは六畳に寝、寅さんが三畳、母は風呂場で寝るのかもしれない。父は浜松の弟の繁さんと御母さんが死ぬまで、実家のあばら家に住むつもりだろう。
こうして元家族が集まれる場所はなくなり、ぼくへの毎月一度の面接日か、年に二度の総会の日が、唯一の家族団らんの集合場所になるに違いない。それも仕方ないことだろう。
元家族が御殿場で東京音頭を踊ることになりそうだ。母は預金を使い果たしたら生活保護を申請するといいだすだろうが、他人を保護していて本人が生活保護を受けられるのか、そこのところが、ぼくにはわからない。

それから、犬のゴンを連れて父と母、三人で隅田公園に散歩に出掛けた。
葛棚は冬を早くやり過ごそうとひっそりと枯れて固まっていた。
枝の間からは冬空が透けて見えた。
ぼくは成人したときから御殿場が住まいだと決めていたし、弟のゴリは新潟のうどん屋に住み込みで大学に通っているし、ユカは就職した。
一度、立ち退き後、御殿場に住むのはどうかと、父と母と寅さんが尋ねてきたことがあった。寅さんがなぜ来たのか今でも謎だが、父は不動産屋の案内で御殿場中の中古物件を見て回ったらしいが、住む実感がわかなかったそうだ。
車を買うときとは訳が違って住宅となると、移動でなく拠点をそこに置くことに戸惑ったそうだ。
それと職業の事を考えるとボランティアのカン拾いぐらいしか思い浮かばず。
きれいな別荘のような物件を前にしてその生活感の乏しさにただうろたえたそうだ。
「この辺は生活するところでなく空想して楽しむところだったのが分かった」 と父は寅さんと母に言っていた。
わざわざ御殿場のぼくの近所に引っ越してきても、毎日ぼくが作業に打ち込んでいる施設に酒でも飲んで来られても困る。
墨田公園の犬仲間の猟犬のおじさんが水門の土手の下でこちらを見て待っていた。
母は引き寄せられるように犬仲間に駆け寄ると
「私お店やることに決めたの。息子とも今の旦那ともこれでお別れの決心がついたから余計な心配はしないで板前として腕を振るうことだけ考えて。お金も誰にも分けないで商売につぎ込むわ」 というと何事も無かったように土手に引き返してきた。
犬仲間は最初からぼく達が三人組だったことを知らなかったように振り向きもせず公園を出ると馬道のほうへ消え去った。
父は御茶ノ水のおじさんが言っていた映画製作というよりも、その原作となるような、安上がりの詩のようなものを一人になって書きたいようです。
本当は郷里へ帰りたいだけかもしれませんが。
浅草の土地が売れた後どこへ引っ越すかまだ結論は聞いていませんが、父と母はお互い自分の親のところに行きます。
だから離婚します。今までが、ぼくが家の中心だったから、ぼくが居なくなったら両親は何の話題も無くなりばらばらになります。
ただ、20才になって、ぼくが御殿場で自立を目指して住もうと決めたときの寂しい気持ちを、今頃になってお互いに味わっていると思います。
みんなは、ぼくの真似をして家から巣立って、早く何かから自立したいのかもしれません。
それにぼくも場所にこだわるほうなので、住み慣れた浅草よりほかのところへ引っ越されても、どこへも帰りたくならないような気もします。
その後三人は、桜橋を渡りながら記念に10円銅貨を賽銭箱と思って大川へ投げ込み、そして思わず手を合わせた。
「あらマキリったら、うなぎ屋さんのおばさんの真似しているわ」 
「そうだったね、あのおばさん、観音様に向かって毎朝店を開ける前手を合わせていたね!隅田川で焼け死んだ犠牲者にね」 カモメがすぐ傍まで近づいて餌をねだった後、何も持っていないと分かってサーと風に乗って、言問橋の群れに向けて飛び去った。墨田公園の散歩も今日でおしまいだ。
吾妻橋の袂のお地蔵さんとうなぎ屋さんを通って向島の東岸をゆっくり駒形橋まで歩いて駒形橋西詰から雷門にむかった。
ぼくは21才になったし、父も母も60才になる。
「いつまでも甘えていられないな」 三人は同じことを思っていた。
花川戸に帰って郵便ポストを覗くと、家庭裁判所から、父宛の呼び出し状が着ていた。
父への親孝行が、この手紙を手渡すことになってしまったようだ。
父は受け取ると中味も確かめず、さあ新宿まで来る送迎バスまで送ろうと言って、車のエンジンをかけに、駐車場に降りてしまった。
ぼくは昨日書いた御茶ノ水のおじさんへの手紙とオルゴールにしまってあったドーナツ形の折り紙で作ったぼくの宝物を全部封筒につめて母と車に乗った。来た時と同じように御茶ノ水のおじさんの家に寄ったが、おじさんは留守で、おばさんと麻貴ちゃんもカルチャースクールで門が閉まっていた。
扉で口を開いている青銅のポストに、手紙を投げ込むと、父の運転する車に戻って、カバンを広げオルゴールを確かめた。父も運転席でさっきの手紙を確かめていた。御茶ノ水のおじさんあての手紙に次のように書いてあります。

返信。 御茶ノ水のおじさんへ マキリより  
突然ですが、おじさんさようなら。
おじさんが横須賀の湯治から御茶ノ水に帰ってきてもその時には、ぼくはもう浅草に居ません。
おじさんの予告通り、この手紙が届く頃、父も浜松へ帰ってしまい。母は茨城で、寅さんと猟犬の料理人と組んで、日本料理屋をしているでしょう。
ゴリは新潟で理科の先生。ユカは東京で、事務員をしています。
ぼくは帰ったら最後御殿場が、一生の住み家になります。
おじさんが仲間と一緒に鶏でも飼って徒党のためのアジトを作ってのんびり暮らしたければ、お酒の変わりに、温泉の薬師の湯をたくさん飲んで、まず体を直してください。
これからぼくの家族はバラバラです。御茶ノ水も花川戸も取り壊し中なのです。
何故かというと一度、すっからかんに失うことで、全体がどうなっているか。
家族に今度会う楽しみがどんなものか分かるからです。
おじさんだって同じでしょう。
追伸・胆汁をはいて悲しんでいたシェーンに折り紙で作ったドーナツ形のぼくの宝物を、全部この封筒につめて御茶ノ水のおじさんのポストに入れておきます。
シェーンならこの懐かしい臭いを知っているはずです。
おじさんは早く御茶ノ水に帰って来てぼくの宝物を、シェーンのお墓にお供えして下さい。
オルゴールは御殿場に持って帰ることにしました。明日はきっとぼくのかばんの中です。

「さて今は空っぽになったオルゴールに、これから何をしまっておこうか?」 新宿駅西口安田生命北側で待っている送迎バスに乗って、一人になってからゆっくり考えます。

(2009・9・10)

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